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第18章 実家への里帰り | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第18章です。
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民国43年の年末のことです。春節の数日前、鹿港の父から小包が届きました。開けてみるとそれは台湾ソーセージや年糕(台湾式の甘いお餅)など、孫へのお正月の贈り物でした。同封されていた手紙には、父が私たち家族を想う気持ちが綴られていました。私も父や祖母に会いたくてたまらなくなりました。特に祖母は、結婚してからずっと会っていません。
私の今日の幸せは、すべて祖母の励ましで勇気を出したことで得られたものです。祖母への感謝の気持ちは一生忘れられません。そこで私は、子どもを連れて鹿港の父、祖母、叔父、叔母、三女(姉)のもとを訪ねたいと夫に相談しました。
夫は私の気持ちを尊重し、すぐに母子の旅を手配してくれました。同僚が夫に軍用機に乗っても良いと言ってくれたので、彼はありがたく手続きしました。それでも、許可が降りるまで民国44年の3月末まで待たなければなりませんでした。往復の旅は一ヶ月ほどかかる予定で、行きは離島・澎湖の馬公から台南まで飛んで、そこから彰化までローカル列車に乗り、さらに乗り換えて鹿港へ向かいます。
出発の日が近付くにつれ、父や祖母など会いたい人たちと再会し、皆に息子を会わせ、この数年の間に自分が幸せを得たことを知らせられるのだと思うと興奮し、緊張しながら旅の時間を待ち遠しく感じるのでした。
飛行機に乗る前日、私は荷物を準備して、息子に「ママはあなたを鹿港に連れて帰って、おじいちゃんやたくさんの人に会わせるからね!」と言いました。息子は良く分かっていないようでしたが、飛行機に乗るのをとても楽しみにしていました。
時間が来て、夫は私たちを空港に送り、どうか気を付けて、無事に帰ってくるようにと言ってくれました。
軍用機に乗るのは人生で初めてのことでとても緊張しましたが、30分で台南の空港に到着し、とても順調でした。
鹿港に着いたのはすでに夕方で、家に入るとそこにいたのは三番目の継母で、父は不在でした。三番目の継母は父がまだ仕事から帰っていないと告げ、私たちは少し話をしました。外で父の声が聞こえた時、私は急いでドアを開けました。
父は私を見るなりまず、「私が孫に贈り物をしたこと、ママに言ったかい?」と聞きました。私は「いいえ、私もまだ帰ったばかりで、贈り物のことまで話していません」と答えました。
父は「あの贈り物は、お前の姉からお金を渡されて送るよう頼まれたと母さんに嘘をついて送ったんだ。もし私が騙したと知ったら、母さんはとても怒って家が大変なことになる」と、ほっとした様子でした。
三番目の継母は私たち姉妹に対してとてもケチでした。
私は父の苦しみが理解できたので、「安心して、私は帰ってきたばかりで、たいした話をしていないから、何も問題ないはずです」と父を慰めました。父も安心したようで、私と一緒に家に入りました。
父がこんなに遅く帰宅したのは、孫に会いたくてたまらず、仕事が終わったらそのままローカル列車で彰化まで私たちを迎えに行ったためでした。結果、私たちが先に帰ってきたので、無駄足に終わりました。
おじいちゃんおばあちゃんは可愛く人見知りをしない、物分かりの良い孫を見てとても喜びました。それはそれは可愛らしく「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼ぶので、おじいちゃんは大喜びでお小遣いを包んでくれました。
私たちは父の家に滞在し、昼間は息子を連れて鹿港の街へ親戚や友人、そして四方病院の大家の奥さんを訪ね、挨拶して回りました。私が彼女にこの家で子どもを授かったと伝えるととても喜び、「うちで生まれた子どもは、大きくなって必ず成功するよ」と言いました。
二日目は祖母と一緒に大伯母のもとを訪ねました。
大伯母は可愛い男の子を見てとても喜び、「結婚して何年になった?」と私に聞きました。私が四年経ったと答えると、大伯母は「六番目の叔父さんがもし外省人との結婚が3年続くようなことがあったら、耳を削いで占いに使わせてあげると言っていたよね。4年経ったんだから、彼のところへ行って耳をもらっておいで!」と言い、皆を大笑いさせました。あんな昔のことでもしっかり覚えているなんて、大伯母の記憶はすごいです。
鹿港に滞在して半月が過ぎました。
叔父、叔母も私と息子を見て、私たち一家が幸せに暮らしていることが分かり、嫁ぎ先を間違っていなかったと安心した様子でした。
滞在も残り半分となり、私は祖母と父、弟妹に別れを告げ、息子を連れて三女を訪ねに彰化の和美へ向かいました。
昼に三女の家に着くと、彼女の夫が私たちを出迎えてくれ、息子を見ると、「いくつになった?」と聞きました。私が3歳になったと答えると、息子は実際の年齢より少し大きく見えるので、彼はちょっと信じられないといった様子です。
三女は私が初めて産んだのが男の子でうらやましいと言いました。彼女は私より2年早く結婚し、立て続けに3人の女児を出産していて、男の子を欲しがっていました。
彼女が「子どもが3歳になったのだから、もう一人産もうと思わないの?」と聞くので、私は「台南で流産して以来、何も兆候がないの。私ももう一人産みたいと思っているけど、産めないなら仕方ないね」と説明しました。すると彼女は家に滞在する間、医者に連れて行くといって、村の産婦人科で検査を受けさせてくれました。
検査を終えると、医者は微笑みながら「問題ありません。薬を出しますから、それを飲んでいい知らせを待ってくださいね」と言いました。
その後、台中にいとことその夫、いとこの妹に会いに行きました。皆との再会はとても嬉しく、話は尽きることがありません。いとこは私たちを台中の公園へ連れて行き、息子も私もとても楽しく遊びました。公園の涼亭で皆の記念写真を撮りました。
一ヶ月が過ぎるのはとても早く、私は名残惜しくも皆にお別れしました。
ローカル列車で台南へ行き、乗り換えて空港へ向かいました。
空港では夫の甥の光先が入り口で私たちを待っていました。初めて会った彼は、息子にお兄さんと呼ばれて嬉しそうでした。テーブルいっぱいのごちそうを昼食にご馳走してくれましたが、私たちは大人二人に子ども一人で、とても食べきれず、もったいないことをしてしまいました。
光先に別れを告げて飛行機に乗ると、30分で馬公空港に着き、そこでは夫が待ってくれていました。息子は父親を見ると大喜びし、夫が息子を抱き上げ、3人で東衛里へと帰りました。実家への楽しい里帰りの旅はこうして幕を閉じました。
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