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第11章 市場で父に遭遇 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第11章です。
夫の屏東出張が決まったことで、この期間中は給与以外に”出張費”が支給されました。普段は赤ちゃんの沐浴用の桶やベビーカー、洗濯板などの日用品を買う余裕がなかったので、一ヶ月目にお金が送られてきた時にはとても嬉しかったです。
始めの頃は赤ちゃんを洗面器で沐浴させていましたが、生後一ヶ月ごろになるとその大きさでは足りなくなりました。ちょうどお金が入ったので、彰化まで必要なものの買い出しに行くことにして、雪さんにその付き添いをお願いしました。彼女には1日分のお駄賃を支払ったので、とても喜んで引き受けてくれました。
翌日、私は赤ちゃんを背負い、バッグを持って雪さんと一緒に山を下りました。雪さんは力持ちで、帰り道にはその日買ってきたすべての荷物を山の上まで運んでくれました。出発前に私が「たくさんものを買うから、きっと帰りは荷物が重くなると思う」と話していたので、彼女は家から杖と縄を持ってきて、あらかじめ大肚駅に置いておいたのです。
彰化市場で買い物をしている時、偶然にも父親、つまり赤ちゃんにとっての祖父に会いました。父は私に近付きながら「春子!」と呼びました。
春子とは私の日本語名です。
私はとても驚き、「父さん! どうしてここに?」と聞きました。
父は「出張で彰化に来たから、ついでに市場に来てみたんだ。まさかここでお前に会えるなんて!」と言いながら、私が赤ちゃんを抱っこしているのを見て、「いつ生まれたんだ? どうして何も言ってこなかった?」と尋ねました。
私が「二ヶ月前くらいです。知らせの手紙を書いたけど返事がなかったのは、受け取っていなかったのですか?」と伝えると、父は「受け取っていなかった。申し訳ない、お祝いを何も送っていなくて」と答えました。
私は「お祝いなんて気にしないで、私には義理の両親や義理の姉妹もいませんから」と父をなぐさめながら、「私と夫はとても幸せに暮らしています。心配しないでね」と伝えました。
時間の都合上、父に体を大切にするよう伝えただけで別れなければなりませんでした。しばらく歩いて振り返ると、父はまだその場に立ったまま、私たちを見送っていて、私は切ない気持ちでいっぱいになりました。
父に会って、私は自分の少女時代を思い出しました。
三番目の継母が家に来てから、家では悲しいできごとがたくさん起こりました。私は今の夫に巡り会い、結婚して、やっと自由で幸せな日々を過ごせるようになったのです。
私がなぜ「偶然父に会った」と言うのかというと、結婚してから子どもが生まれるまで、父と連絡を取れたことがなかったからです。夫が手紙を書いても、父からの返事はありませんでした。
今回説明を受けてはじめて、それは三番目の継母が手紙のやり取りを阻んでいたのだと知りました。
もしかすると、三番目の継母が私に彼女の友人の息子を紹介しようとしたのを断って、さらに外省人の軍人に嫁いだことが、彼女を怒らせてしまったのかもしれません。
こうした理由で実家との関係が絶たれてしまっていたので、偶然にも彰化の市場で父に出会えたことは、本当に驚くべきことだったのです。
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