見出し画像

日本人は「まあいっか」の練習をすれば楽になれる

こんにちは。
noteでおなじみ、マレーシア在住の文筆家・編集者、野本響子さんの新刊『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』(文藝春秋)をご恵投いただきました。

拝読した結果、台湾と共通するところがたくさん!

出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』(文藝春秋)Amazon

「日本がなんだか辛いな、苦しいな」と思っている方のために書かれたと言うこちらのお本、読んでいると、ものすごくたくさん台湾と共通していることが多く、ワクワクしながら読みました。

さらには今度、野本さんとVoicyでこのお本について対談させていただくことになりました!(詳細は最後に記載)

というわけで、7,000文字近くなってしまったのでどなたか読んでくださる方がいるかは不明ですが、以下に私の読書メモを記録しておきます。

私の読書メモ

(※見出しなどを含め、下記は「本に書かれていた内容」ではなく、本を読んだ私の感想です。本に書かれていた内容についてはカギカッコなどを用いて引用します。野本さんの書かれていた意図と違う部分もあると思いますが、それは私の考えが加わっているからだということをご承知おきください)

お金ではなく大切なのは心だ

野本さんはこう書かれていました。

かつての私は「自分が自分が」と考えているような人間でした。
ところが今では「なんとなく全体で幸せになれば、多少自分が損したり騙されたりしてもいいや」と思うようになったのです。
出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』

これは私も同じだなと思います。日本で暮らしていた頃と台湾で暮らしている今、環境によって自分の考え方がここまで変わるのかと驚きますし、そう考えられるようになってから、ずっと生きやすくなったのを実感しています。

野本さんも、日本にいた頃は、お金を稼がないと幸せになれないという価値観があったけれど、マレーシアは決してそうではないと感じられたようです。私もエッセイに書きましたが、台湾で何回も「お金はまた稼げばいい。大切なのはハートだ」と言われてきました。

そういう意味でも、「海外移住は厳しいけど、もっと楽になりたいな」と思われている方々には、このお本を読んで楽になっていただきたいです。

幼稚園を近所に作ることに反対する人がいること、ポテサラ事件

野本さんは「幼稚園を近所に作ることに反対する人がいる」とか、「ポテサラ事件(スーパーでポテトサラダを買おうとしたら、見知らぬ人に『母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ』と言われた方がいた件)」などをマレーシア人に話してみても、あまり分かってもらえなかったとのこと。

これは私も全く同じで、「日本でこんなことがあったらしいよ」と周囲の台湾人に話しても、「ちょっと何を言ってるかわからない」「どういう意味?」といった感じで、理解してもらえなかったです。

日本の「ちゃんとした」は、たまに度を越している

本書には日本人は何をするにも「ちゃんとすること」を求めるよね、ということが書かれていました。

たとえば学校。
私も長男が1歳〜2歳になる前、一瞬だけ日本で子育てしたことがありますが、持ち物のルールも厳しく、とても大変だったのを覚えています。
台湾は基本的に何もかも自由で、水着だって各々好きなのものを持っていきます。PTAも、持ち回りなどはなく、やりたい人が挙手してやる感じです。何期も、何年間も立候補される方も(母親父親といったジェンダー関係なく)多くいらっしゃいます。

与えられることに慣れてくるって怖い

日本で育つと、「与えられることに慣れていく」ということも書いてありました。確かに、与えられるのに慣れていくと、自主的に何かをすることができなくなっていきますよね。私もこの点は台湾に来てから価値観の転換が起こりました。

自分はこんなに我慢してきたのに、他の人が楽をしているのが許せない

日本にいると、「自分はこんなに我慢してきたのに、他の人が楽をしているのが許せない」となりやすいよね、といったことも書かれていました。
これは海外在住者の方と話していると、日本の特徴としてよく話題に出るのですが、他でもない自分も、日本で暮らしていた頃にはそうした傾向があったと思います。

もしかしたら、自分が生活している社会(コミュニティ)があまりにも狭かったり、多様性が保たれていないと、隣の人のことが気になって仕方なくなるのでしょうか? これが同調圧力の原因なのかもしれません。

でも、今ではこの思考のクセが行き過ぎた自己責任論に繋がると思いますし、結局のところ誰のことも幸せにしないと思うようになりました。

もし少しでも「自分の中にもこういう思考のクセがあるかも!」と思われた方は、このお本を読んでみてくださいね。きっと楽になれるヒントがあるはずです。

「他人に厳しい思考」と「ズルい」という感情はどこから来るのか?

先ほどの、「他人に厳しい思考」になると、どういうことが起きるのかということが考察されていました。

日本では昔から、家でも学校でも職場でも「我慢すること」や「がんばること」はいいことだと教えられてきました。子どもの頃から刷り込まれてきたこの教えによって、他人に対して寛容になれず、「ズルい!」という発想になってしまうのではないでしょうか。
出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』

そしてその「ズルい」という感情はどこから来るのか? という考察も書かれており、とても興味深いです。

相手の基準に合わせて生きていると辛い。ヒエラルキーは勝手に人が作ったもの

お本の中には、ヒエラルキーについても少し触れられていました。

男女、世代間、既婚と未婚、フリーランスと会社員、専業主婦と兼業主婦など、ありとあらゆることに分断があるのも日本の特徴です。どこにも競争と対抗意識があり、気が抜けない感じがします。
出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』
細かい「序列競争」は、子ども時代から始まります。
日本からマレーシアに来たお子さんが、「私立中学を受験する子が、公立中学に行く子を『負け組』と言って差別する」と言っていましたが、何にでもヒエラルキー(序列)を付けたらしんどいだろうと思いました。そして不登校の生徒が小さくなっています。学校に毎日行っている生徒が「偉くて」、行っていない生徒は「偉くない」 ーーそんなふうに考える人が少なくないのです。
出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』

野本さんとてもはっきりと、大切だけれども日本にいたらなかなか言いにくいようなことをズバッと言い切ってくださっていて、思わず「そうそう!」とうなりました。

本書にはこの辺りの日本特有の価値観がどのようにして生まれたのか、そしてそれに苦しんでいる人が楽になれるヒントが詰まっていました。

この節を読んでいて思い出したのが、転勤族だった私が過去に転校した先の学校で、クラスメイトが、別のクラスメイトに、「お前の父ちゃん俺の父ちゃんの部下なんだから、お前俺の言うこと聞けよ」と言っているのを見て、衝撃を受けたことです。

すごくショックで、自分の気持ちの整理ができるまでの数日間、学校に行くことができませんでした(他にもその学校で起こったカルチャーショックがいくつか重なったので、これだけが理由ではありませんが)。

当時は色々考えて、「あのクラスメイトの親は、家庭でそういうことをしょっちゅう話しているから、子どもまでそう考えるようになってしまったんだな」と、その子どものせいにしないように自分の中で結論付けることで、なんとかまた登校できるようになりました。

親となった今、私の価値観は子どもたちに移植されやすくなっていますから、誰かが決めた基準やヒエラルキーに巻き込まれないようにしたいものです。

電車が遅れたのは駅員さんのせいではないのに、なぜ日本人は駅員さんに対して文句を言うのだろうか

電車が遅れたりすると、日本では駅員さんに対して怒る人がいるけれど、マレーシアでは誰も怒らないといった記述を見て、確かに私が暮らしていた頃の日本もそうだったなと思い出しました。

そして、怒られた駅員さんは「大変申し訳ありません」と謝っていました。

確かに、台湾ではそうした状況になっても、駅員さんに対して怒る人はいません。電車の遅れと、駅員さんの仕事は別のものだと当たり前のように分かっています。

だから、怒られたとしても、駅員さんは謝ったりしないような気がします。

「課題の分離」、つまり「それはそれ、これはこれ」が台湾人はちゃんとできる印象です。

本書に書いてあった、マレーシアでは学校行事が直前に決まるというのは、台湾でも同じですけれど、でもそれに文句を言う保護者はいません。
みんなできる範囲で何とかします。

日本で暮らしていた頃の私だったら「こんなに急に決められても仕事が休めない。どうしてくれるんだ!」と軽くパニックになりそうですが、これも台湾に来てから「そんなものか、できるだけ調整してみよう。なるようになる」という思考になったのだから、面白いものです。

最初から100点満点を目指さない

本書で、マレーシアでお店を開業する時、まずは「ソフトオープン」という形で徐々に慣らしていき、そろそろかな、というところで「グランドオープン」にすることが多いと書いてありました。

これは台湾も同じで、とっても賢いなと思ったりしています。
ソフトオープン中は価格を少し安く設定していたりもするので、お客さん側も、料理が出てくるのが遅かったりしても、「まだ慣れていないから仕方ないな」と受け止められるんですよね。

これに関連して思い出したのが、台湾で最近よくある“クラファンでテストマーケティングする方法”です。
クラファンで支援してくださった方にはよりお得な価格で商品を購入できるようなインセンティブを用意しておき、クラファンで支援してくれた人たち=実際にお金を出して買ってくれた人の意見だけを聞きながら商品やサービスをアップデートし、その後に本格的に商品化するといった手法です。

本格的に商品化された際にも「クラファンで何百人が高評価!」とか、「クラファンで得たフィードバックをもとに改良済み」という形でアピールすることで、さらに消費者に対して説得力が増すというわけです。

「日本式を捨てられない」と、成長できない

本書に書いてあって古傷が傷んだのが、「日本式を捨てられない」ということでした。私も台湾に来たばかりの頃は、台湾のウェブサイト制作に不満ばかりで、「日本ではこんなにしっかり制作しているのに」と、比較ばかりしていたように思います。でも、それだと全く自己成長できないんですよね。

結局は、自分の中にどれだけの引き出しがあるのか、日本の良いところと台湾の良いところを自分のものにして、いつでも取り出せるようにしておくということなのかと思います。

台湾にある“日式”ラーメン店も、日本式と台湾式のスープ(塩分濃度が日本式の方が濃い)をそれぞれ用意してあり、お客さん側が選べたりします。

「日本に旅行に行くのは最高、でも働くのは嫌」は台湾でもよく聞く言葉

マレーシアで暮らし、現地企業で仕事もされたことのある野本さんはよく「日本に旅行に行くのは最高、でも働くのは嫌」という価値観に触れることがあるそうです。

それは台湾でも全く同じだと感じています。

これまでの時代は日系企業で働くと給与も福利厚生も良かったけれど、今は仕事や謎のルールばかり多い割に待遇がそこまで良くないという印象が強くなっているように感じます(それに加えて、円安+台湾のインフレの影響も大きいと思います)。

そんな中で「台湾は親日だから、優遇してもらって当たり前」という態度で台湾に来る日本人が意外と多くいることには本当に恥ずかしくなります。
相手の好意を利用して「Take」してばかりではなく、「Give」していかないと、遅かれ早かれ先人たちが積み上げてきた関係が崩れてしまうのではないでしょうかと、老婆心ながら思います。

謝罪(形式的な礼儀としてのお詫び)を求める日本社会

本書に、日本では「形式的な礼儀として謝ることが必要とされている」といったことが書かれていました。

これは私も自身、自分の中にもそれがあるなと感じていることです。

どういう時に特に感じるかというと、明かにミスをしたと時でも、台湾人はあまり謝らないんですね。

これは、仕事や生活のあらゆるシーンでそうです。

取ったはずの電車のチケットが間違っていた時、
何かの予約が間違って入っていた時、
仕事のアポを忘れられていたとか、頼んでいた仕事を忘れられていた時、
レストランでの注文が間違っていた時、
予定していた習い事に行ったら、その日はキャンセルされていたと分かった時…

ミスをした当の本人はただ淡々と対応し、「変更しました」とか、「あなたの要求通りのものにしました」と言うだけで、全く申し訳ない態度や謝罪の言葉を口にしません。

この理由は今のところ分かりませんが、「台湾では自分に非があることを認めると、そこから責任問題になるから?」という仮説があります。

こうした状況に遭遇した時、自分が嫌な思いをしたり、無駄足をするならまだいいのですが、例えば日本から出張で来たクライアントをお連れしたのに相手が忘れていて訪問ができなかったり、小さな子どもたちが楽しみにしていたお店に手違いで入れなかったりすると、「さすがにちょっと一言ないの?」と思ったりもします。

でも、これもやはり、日本で自分に染み付いた固定観念なのだと思います。

相手が謝らないと“誠意がない”と感じて憤りを感じるのは、ちょっと感情的すぎるのかもしれない。それは反応的な行為で、自分の幼稚で、甘えた部分が露出しているのだと感じるようになりました。

野本さんは本書で、人間誰しもミスをしたり、他人に迷惑をかけるのは当たり前、他人を責め、許さない気質は窮屈だと感じると書かれています。

そして、日本の刑務所で累犯受刑者の更生支援に関わられていた岡本茂樹さんのご著書『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)の一節を引用されています。

詳しくは本書をご覧いただきたいのですが、

問題を起こした人が、なぜ問題を起こしたのか。その理由である自分の内面の問題に気づくために必要なのはじっくり耳を傾けることであり、“周囲がどんなに嫌な思いをしたのか”を考えさせることではない、といったことが書かれていました。

確かに、日本の「反省を求めるカルチャー」は、ちょっとどうにかした方が良いかもしれません。

本書で野本さんは、シンガポールの初代首相リー・クワンユーさんが『目覚めよ日本 リー・クワンユー21の提言』の中で、日本人の「何かを改善していく力」「独自の文化を発展させていく力」「物事を丁寧に成し遂げていこうとする力」はグローバル社会の中にあってもユニークさを持ち続けていくと書かれていたということをシェアされていました。

海外から客観的に見て優れている点を意識して伸ばしていくのが良いかもしれません。

(そして私はこのお本をすぐに購入しました笑)

エクスクルーシブ教育の弊害

個人的にもっと知りたいと思ったのが「エクスクルーシブ教育の弊害」というパートです。

教育の場において、インクルーシブの対義語である「エクスクルーシブ教育」とは、「仲間はずれにする」「排他的」「閉鎖的」と言う意味だそうです。

小さい頃から「『できる子』だけを選別して育てたい」とすると何が問題なのかが書かれていますので、気になる方はぜひ本書を読まれてみてください。

これはけっこう私の身近なところにも潜んでいるし、「しっかりとした家庭の子と付き合わせたい」という世間の価値観に自分も引っ張られているところがあると感じます。自分もこの価値観には気をつけたいと思いました。

1969年に起こった「人種暴動」

本書では、1969年5月13日に発生した“マレーシア史上最悪の民族衝突事件”によって多くの方が亡くなったことを今でも皆さんが記憶していること、
そして「あの人種暴動を繰り返してはならない」と、野本さんの周りのマレーシア人たちがよく言うことが触れられていました。

野本さんはこのように考察されています。

「物事を合理的に考え、寛容になった方が社会にとってメリットが大きい」ということを実感として国民は知っているのでしょう
出典:『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本』

台湾も過去に起こった「白色テロ」という恐ろしい歴史があるからこそ、今の民主主義を大切にする社会が保てているように思えます。

「では、日本にとって“もう絶対に繰り返してはならない”という出来事、過去から学ぶべき出来事、それは何なのだろう?」ということを最近よく考えます。

とっても長くなりましたが、上記が私の読書メモです。

「そんな価値観があるんだ」「それは自分も感じてた!」とか、「そうは思わない」「自分の周囲にはまた違うように感じている人がいる」などなど、皆さんのご感想もぜひお聞かせいただければ幸いです。

のもきょうさんとVoicyで対談します

今度、のもきょうさんとVoicyでこちらのお本について対談させていただく予定です。ぜひチャンネルをフォローしてお待ちいただければ幸いです!


いいなと思ったら応援しよう!

近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
こちらでいただいたサポートは、次にもっと良い取材をして、その情報が必要な誰かの役に立つ良い記事を書くために使わせていただきます。