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付録「アメリカ映画の鑑賞」光德(次男) | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』作者の次男、光德による付録です。
※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。
付録「アメリカ映画の鑑賞」光德(次男)
銘德一村は富貴角のそばにある40戸の小さな眷村ですが、早くも民国50年(西暦1961年)代から、最も辺鄙なこの小さい眷村では、常に最新のアメリカ映画を観ることができました。それはとても不思議な経験でした。
私が幼かった頃、父が働く部隊からだいたい20分くらい歩いた場所に、アメリカ軍の顧問チームが駐留していました。彼らが観る映画は、アメリカで出品されたばかりの最新作で、台北で最も早い映画館でもまだ上映されていないと聞きました。顧問チームは自分達が観終わった映画を部隊に貸してくれ、野外バスケットコートで上映しては兵隊やその家族たちに観せてくれたのです。
「映画鑑賞」は、村人たちにとって一大事です。
夕食を食べると、映画を観る人たちは、大人も子どもも椅子や懐中電灯を手に村の入り口広場に集まりました。いつも2、30人は集まるので、皆で列を作り、村の左手にある小さな坂道を出て映画を観に出発しました。
冬になるとあたりは真っ暗になっていて、人々は椅子と懐中電灯を手に、両側が木に覆われ、前が見えない道を手探りで進まなければなりません。
子どもたちは興奮半分、怖さ半分でした。真っ暗な上り坂を登りきると、頭上は満天の星空が広がり、皆大喜びで部隊に向かいました。
ごくたまに、映画が始まる前の時間、子どもたちは(訳注:中華民国の)兵隊さんたちとバスケットボールをして遊びました。もちろん私たち子どもは兵隊さんにかないませんが、時々アメリカ軍の兵隊さんたちも加わりました。
私たち子どもの目に、彼らは巨人のように映りました。巨人とのバスケットは、ボールひとつ取るにも、彼らに手加減してもらわないと取れないのでした。
映画を観る時、皆は長椅子に座っていました。
プロジェクターから発された強い光が布に映し出され、カーテンが風に煽られると映画の中の人物や風景もそれに合わせて揺らめきます。
上映作品は007や白雪姫、ミッキーマウスなどのアニメや、アントブリーなどの最新作でした。大人も子どもも大喜びで見入っていました。
けれど大変残念なことに、映画はアメリカから直輸入されたもので、中国語の字幕はありません。誰がどの程度内容を理解できていたかは、神のみぞ知るところです。
1.この文章は2009年の台北市眷村文化フェスティバル「看見眷村看見你」の作文コンテストで、優選賞を獲得しました。
2.アメリカ軍の顧問チームの駐留期間はおよそ九ヶ月で、期間中は毎週末映画を観ることができました。私の母は、『ファム・ファタール』『クレオパトラ』などの作品を観たことを覚えています。
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