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第37章 三男の大病 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第37章です。

※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。

 三男の光義と、ご近所で友人の崔樂忠くんは、台北県の蘆洲鄉にある徐匯中学に通うため、老梅から公路局の車で淡水まで行き、さらに淡水川辺の埠頭へ行ってボートで対岸の八里へ渡り、そこからバスに乗ってようやく学校に行くことができました。

 道のりは非常に遠く、土曜日の午後に寮から家に帰ってきたかと思うと、日曜の午後にはまた学校へと戻らなければなりませんでした。

 将来のためとはいえ、まだ年頃の子どもたちが、三年間過酷な通学をよく乗り越えたものです。高校受験で三男は建国高校の夜間部、崔樂忠くんは師大附中に合格しました(訳注:どちらも超難関校)。九年間連れ添った学友は、このようにしてそれぞれの進路を歩み始めたのです。

 その後、東吳大学の法学部に合格した三男でしたが、一年生の時に大病を患いました。

 ある日、昼食後の昼休みに運動場で球技をしていたところ、急にお腹が痛み出し、同級生たちに呼んでもらった車で台大病院の救急外来に運び込まれました。

 すぐに台北で働く次女の春芳に知らせが入り、春芳は大至急、板橋に嫁いだ長女や、新聞社で働く長男やその妻へと連絡を取りました。

 長女はすぐに駆けつけ、兄とその嫁は非常に忙しかったので仕事が終わってから来てくれました。私は老梅天主堂の幼稚園で働いており、娘からの知らせを受けるとすぐに仕事を友人に代わってもらい、一人で台大病院の救急外来へ急ぎました。夫は仕事中で、一緒に来ることはできませんでした。

 二人の娘たちは私の姿を見るなり、目に涙を浮かべていました。
 長女から「母さん、あの子は急性盲腸炎なんだって。今手術の準備が始まったところ」と言われると、私は非常に気が焦り、どうしてこんなことになったのかと思いながらも、ただただ神に祈りを捧げるしかありませんでした。

 救急外来で待つこと一時間、二時間と経過して行きますが、何も知らせがありません。

 二人の娘たちがあちこちに事情を聞いて回ると、「救急外来で待つのではなく、手術室のところへ行って聞いてごらん」というアドバイスを受けました。確かにその通りです。
 
 ハッとした私たちは急いで手術室へ向かい、医者から説明を受けることができました。
「彼は盲腸炎ではなく消化管穿孔でした。家族が見つからない状況でしたが緊急を要したので、そのまま手術を行いました。今は回復室にいます。麻酔が切れたら病室に移りますので、その時に会いに行ってあげてください」

 心配でたまりませんでしたし、気持ちは焦るばかりでしたが、医者から「彼はまだ若く、成長段階ですから、退院後にしっかり静養すれば、胃も通常の状態に戻るでしょう。若者の回復は早いですから、心配いりませんよ」と説明を受け、看護師長からも同じように言われて、やっと少しずつ落ち着きを取り戻すことができました。

 三男が10日間入院するというニュースは銘德⼀村を騒然とさせ、たくさんの年寄りたちが台大病院までお見舞いに来てくれました。

 おじいさんおばあさんたちは粉ミルクやフルーツ、栄養補助食品などを手に、はるばる老梅から公路局の車で淡水まで行き、台北行きの列車に乗り換え、列車を降りてからもまた市バスに乗って病院まで来てくれました。

 良き隣人や友人たちの三男に対する思いやりや愛情に、私たち夫婦は言葉にできないほどの感謝の気持ちを抱きました。

 術後10日目で抜糸が終わった三男を連れ帰り、家での療養が始まりました。当時は期末テストの時期でしたが、三男は参加することができず、病気が治ってから次の学期で再テストすることになりました。

 三男はとても勉強家で、二学期の始まりに再テストを受け、不合格にならず無事にテストを通過することができました。こうして何事もなく、そのまま大学卒業になりました。

 卒業後、三男は胃を手術したため兵役を免除されました。彼は学業に専念し、いくつかの公務員試験に備えました。

 当時の彼は長男の家に同居しており、家から政治大学が近かったため(訳注:長男の唐光華は国立政治大学に在籍中、同じ大学の女性と結婚している)、毎日政治大学の図書館へ行って勉強していました。

 政治大学の図書館は一般開放されており、好きなだけ勉強することができました。素晴らしい環境で、さまざまな学校から同じように試験準備に備える子どもたちと一緒に勉強に励み、勉強に疲れたら隣の中学校でバスケットボールをする日々を過ごしました。

 試験が来ると皆で一緒に受けに行き、毎年何人かが合格し、合格しなかった人は合格するまで勉強を継続していました。

 なかには家庭に経済的な余裕のない子どもたちも数名いて、節約のために千の階段を上って指南宮まで行き、無料の精進料理を食べていました。彼らは合格するとすぐにお礼参りに行っていました。

 三男は三年の苦学の末、ついに高考一つと特考二つにすべて合格し、二年間の訓練を受けた後、司法界に入りました。今でも順調に安定した仕事を続けることができています。

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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
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