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第6章 結婚式の借金返済のための努力 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第六章です。

 夫との新しい暮らしは、最初の三日間、部隊の宿舎に間借りしました。本当の新居は2坪ほどでキッチンとリビングは大家さんと共用だったのでとても狭く、宿舎の方が広かったからです。

 結婚二日目の午前、夫はクラスメイトの張さんと陶さんを連れて部屋にいた私のもとを訪ねると、昨日夜勤で披露宴に参加できなかった仲間たちを今夜接待しなければならず、テーブル二つ分の宴を開くのにはお金が足りないから手伝ってほしいと言いました。

 私は彼らに、私は一つの指輪のほかに何も持っていないと答えました。
私が結婚式の日に着けていた腕時計や金のネックレスなどは、新婦が何も着けていないのはみっともないからと知人たちが借りたものでした。
この指輪は夫が婚約の贈り物に唯一プレゼントしてくれたものでしたが、仕方がありません。私は仕方なく指輪を外し、陶さんに渡すことで、目の前の問題を解決しました。

 三日目の朝早く、私は部隊の食事担当チームから渡された1セットの食器類(2つのお椀、2膳のお箸と、スチール製のお皿数枚)を携え、荷物をまとめ終えると、水上派出所近くの民家に移りました。

 いよいよ私たちの新しい暮らしの始まりです。

 大屋さんは四人家族で、老夫婦と義理の娘さん、お孫さんが一緒に暮らしていました。お孫さんは小学生です。息子さんは別の場所に住んでいました。当初、家には5ワットの電球が2つしかなく、それでは暗すぎると感じた夫が2つとも40ワットの電球に交換しました。毎月の家賃は電気代と合わせて10元です。大家さんは良い人で、一緒に楽しく暮らしました。

 新居に移って二日目の朝、私たちの仲人(同僚の黃さん)の奥さんが家にやって来てこう尋ねました。

「あなたの旦那さんは今回の結婚の予算をオーバーしてしまったからと、陳リーダーに300元借り、結婚三日後には返すと約束していました。今日はもう四日目ですが、まだ何の連絡もないので、私は事情を聞いてくるよう言われました。あなた方はどうするおつもりですか?」

 これを聞いた私は胸が痛み、涙を堪えながら、「必ずお金は返しますから、どうにか数ヶ月待ってもらえないでしょうか」と、陳リーダーへの伝言を頼みました。

 300元とは決して少ないお金ではありません。
夫が仕事から帰ると、私は「どうしてそんなにお金を借りたの?」と尋ねました。夫はとても申し訳なさそうに、「どうして彼は君に言ったんだろう。僕は自分でクラスメイトに借りて、少しずつ返そうと思っていたんだ」と言いました。
私は「我が家の一ヶ月の収入が120元で、家賃10元と生活費を差し引いたら、毎月いくら返済に当てられると思っていたのでしょう」とつぶやきました。

 その時から、私は借金を返済するために仕事を探すことを決めました。
大家のおばあさんにパートタイムで働ける場所がないか尋ねてみたところ、「お金を稼ぎたいのかい? あなたはどんな仕事ができるの? この辺りには牡蠣が採れる場所があって、毎日夜中の3時から夜明けの6時まで働けるよ。そんなにお給料は高くないけれど、試してみるかい?」と教えてくれました。

 翌朝3時、私は時間ぴったりに出勤し、仕事を始めました。ただ残念なことに私は仕事が遅く、ナイフもうまく使えずに、他の人がバケツ3杯分の牡蠣を採るところ、私はバケツ1杯しか採れません。さらに手を切って血を流してしまい、どんなに真面目にとりくんでもうまく行きませんでした。

 夫は深夜に私たちの仕事場の竹の垣根まで来て、黙って私が皆と一緒に牡蠣を採るのを見守っていました。
 本当にうまくできないので、私は後日考えを改め、扇子を作る仕事に転職しました。1000本作って3元で、一日に最大2000本作ることができましたが、非常に大変な仕事だったので、「どうしよう。300円を三ヶ月以内に返すなんて、やっぱり無理かもしれない」と思い始めました。

 私はとても焦り、他人から夫が私と結婚するために多額の借金をしていると言われないようにしなくてはと考え、寝ても覚めても、もっと収入の高い仕事を見つけるべきなのではないかとばかり考えてばかりいました。

 そもそも借金が300元だけとは限らず、他にまだあるのかもしれません。
夫は私に何も言いませんし、私からも聞けずにいました。それでも、とにかく300元を一刻も早く返済することだけ考えました。

 近所には、私と同い年の梅さんと呼ばれる女性がいました。
彼女も私と同じ境遇で、お母様を早くに亡くされていました。梅さんは私が急いで仕事を探しているのを見て、「漁網を作る仕事を覚えたら? もしできるようになったら、役に立つかもしれないよ」と言いました。そのようにして、私の三番目の仕事が始まりました。私は真剣に学び、すぐオーナーのテストを通過したのです。

 漁網用の糸を受け取ると、私の仕事は始まりました。
まず、小魚を捕まえるための網を作ります。小魚用なので、細い糸を密度高く編まなければなりません。自ずと作業スピードは遅くなります。10日ちょっと経った時にはもう限界で、やめたくて仕方ありませんでした。

 そんな時、梅ちゃんが「大きい魚を捕まえるための、遠洋漁業用の網があるよ。お父さんに言って作らせてもらえるよう頼んだら、明日糸を持ってきてくれるって」と言いました。

 漁網は重さで工賃が決まります。粗い糸はとても早く編むことができるので、一日で目標を達成することができました。
 夫は私が作るのを見て、「僕も漁網作りを学びたい。もし僕もできるようになったら、二人でもっと早く作れるよね?」と喜びました。
私は感動して、すぐ彼に作り方を教えました。夫は賢い人なので、すぐに覚えてしまいました。
 以来、夫が不在の時には私一人で、夫が帰ってきたら二人で漁網を作るようになりました。借りていた家のリビングにはお供え台があり、台の脚を使って漁網を作りました。

 夫の仕事はシフト制で、24時間を朝番、昼番、夜番、深夜番の4チームに分けていました。四日でこれら4つの当番を終えると一日休みという働き方なので、家にいる時間が多くなります。

 大家のおじいさんおばあさんは、時間ができると私たちのそばに座って、どちらが早く漁網を作れるか競い合う様子を見ていました。
 お供え台の脚に糸を掛け、小さな椅子に座って編み始めます。リビングのドアの辺りまで編んだら、またお供え台に戻りながら編みます。このようにして、手を休めることなく編み続けました。

 家事や食事以外の時間はずっと漁網を作っていました。夫のいちばん仲が良い同僚たちは、しばしば仕事帰りに立ち寄ると、私たちが漁網を編むのを見て同情していました。

 最初の一ヶ月はあまり上手くいかずに稼げませんでしたが、その後三ヶ月は夫婦で協力して頑張り、ついに300元を返済することができました。
大きな悩みが解消されて、本当に嬉しかったです。

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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
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