第10章 ランプの明かりのもと、長男を出産 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月
日に日にお腹が大きくなり、出産の日が近付いてきました。
母親になるのは初めてで、分からないことだらけです。王さんに教えを乞いに行くと、準備が必要な新生児用品などを熱心に教えてくれました。
また近所には日本の教育を受けたことがある奥さんがいて、私が初めての出産を控えていると知ると、妊娠出産の指南書を貸してくれました。実際に出産する際、この本がとても助けになりました。
民国40年12月27日の夜6時過ぎ、夕食を取り、サトウキビをかじった後、薄暗い石油ランプの灯りのもとで夫は仕事をしており、私は早めに休もうとしていました。
横になるとお腹が痛みますが、ちょっとすると治まり、また10数分すると痛くなります。それが3回続いたので夫に、「お腹が痛いのが3回も続いたの。ちょっとおかしい。子どもが生まれるのかな?」と言いましたが、彼に「寝る時間なのに食べ物を食べているから、お腹だって痛くなるさ」と笑われたので何も言えなくなり、痛みを我慢することにしました。
その後も10分おきの痛みは夜8時ごろまで続き、とうとう我慢できなくなって、夫に王さんを呼ぶよう頼みましたが、彼はなかなか同意してくれません。出産予定日までまだ半月もあったので、人を呼んでも生まれなかったら申し訳ないと夫は考えていました。
夜9時過ぎ、痛みはどんどん間隔が短くなり、たまりかねて夫に大家の甥の妻の雲さんに来てもらうよう頼みました。
彼女は3人の子どもがいる母親で、経験が豊富です。
彼女は私をひと目見ると「たいへん! もう生まれるよ! あなたたち何も準備できていないじゃない、早く助産師を探さないと!」と言いました。
山の上には助産師がおらず、外は小雨が降っており、村には街灯がなく辺りは真っ暗闇です。
夫と雲ちゃんは懐中電灯と傘を手に、村長の奥さんのもとを訪ねました。この村では子どもが生まれる時は皆彼女に頼んでいたからです。
しかしながら驚くべきことに、断られてしまいました。
あと30日で大晦日で、彼女は神様にお祈りをするので、今日から春節までの期間、出産を手伝ってはならないというのです。
夫と雲さんは愕然としましたが、背に腹はかえられません。経験は少ないものの、神様にお祈りの必要がない年配の助産婦さんを頼るしかありませんでした。
助産婦を見つけると、雲さんは私に「嫁入り道具の中に、麻の細い紐はなかった?」と尋ねました。私が無かったと答えると、彼女は急いで家に戻り、衣装棚から自分が出産で使った残りの麻紐を持ってきました。この麻紐は、臍の緒を結ぶために使うものです。雲さんは夫にごま油を持って来るよう言い、それで麻紐を消毒して準備しました。
二日目の早朝、ほの暗い石油ランプのもと、子どもは無事に生まれてきました。男の子で、とても可愛らしい顔をしていました。助産師が赤ちゃんを私のそばに連れてきてくれて、彼の可愛い姿を見て、一晩中の恐怖と怯えが吹き飛びました。
夫には「妹子」というニックネームがあります。彼は誠実で実直で、口数は多くありませんが、仕事に真面目に取り組む人です。「妹子」の家に男の子が生まれたと、同僚やクラスメイトたちは皆とても喜び、家に来て祝福してくれました。
子どもが生まれて7日目、夫は仕事から戻ると、「高山計画」のため、鹿港まで行ってレーダーのテストをしなければならず、一週間の出張を命じられたと言いました。私が「なぜあなたが指名されたの?」と聞くと彼は、「これは一番大事な仕事で、どのチームからも一番優秀で仕事の能力が最も高い人間が選ばれたんだ。僕も選ばれた。君には申し訳ないが、産後ケアは自分で行ってくれ。お疲れさま!」と答えました。
それを聞いた私は、少し悲しくなりました。
子どもが生まれてたった一週間で、父親は私たちから離れたところに仕事に行ってしまうのです。
でも考えてみれば、自分の夫がそんなに重要な国の仕事に選ばれたなんて、誇らしいことだとも思います。
夫が行ってしまって一週間、未経験で初めて赤ちゃんの世話をする私は、毎日コンロで食事を作りお湯を沸かし、夜になったら石油ランプを灯さなければなりません。赤ちゃんがひと泣きすると、私は大忙しでした。
緊張の一週間が終わり、夫は無事に帰ってきました。私は空気が抜けた風船のように、全身の力が抜けました。母子の無事を見た夫も、とても嬉しそうでした。
子どもが満月(訳注:台湾の風習で生後一ヶ月ごろを指す)を迎えて三日目、夫はまた命令で台湾南部の屏東へ行くことになりました。今回は無期限とのことです。上司は夫に「心の準備をして、一週間後には出発するように」と伝えました。
私たち二人は向かい合って座り、長い間言葉が出ませんでした。
軍人にとって、命令は絶対です。妻は、夫がいつでも外地で働くことになるという現実としっかり向き合わなければなりません。
子どもが産まれて40日目のその日、夫は荷物を持って、再び私たち母子のもとを離れたのでした。