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第9章 大肚山での日々 | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第九章です。

 民国40年4月のある日、新しく来た支隊長と数名の夫の同僚たちが私のところへ来て、大肚山(彰化県鹿港から川を挟んだ台中にある高原)で家を探すのを手伝ってほしいと言いました。

 軍隊の家族全員で暮らすためだそうです。彼らは私が本省人なので、言語的にもコミュニケーションがしやすいと思ったそうです。当時の私は妊娠三ヶ月ちょっとでしたが、皆さんのお役に立てるならと喜んで承諾しました。

 まず鹿港から彰化へ行き、そこから鉄道で北上して大肚駅で下車した大きな通りの向かいに丘があります。私たちは丘で牛車道を見つけ、ゆっくり登って行きました。大肚山は海抜およそ500メートルで、一時間ほど歩いてついに目的地の水井村にたどり着きました。

 私たちは村長の家を訪ね、目的を話し、助けを求めました。

 村長は私たちに村を案内してくれましたが、一人として家を貸そうという人はいませんでした。私たちが外省人で、兵隊だったからです。

 仕方なく警察と村長に出てきてもらい、半ば強制的に家を割り当てることになりました。年老いた住民の百姓たちに、普段牛や羊たちを飼っている場所を貸し出してもらうので精一杯でした。

 山の上の住民たちは当時農業で生計を立てていて、家は土でできていて、屋根は茅葺きでした。私たちが割り当てられたのは三合院(訳注:中庭を中心に3棟の建物がコの字型に並んだ台湾の伝統的な建築様式)の最後の一棟で、もとは夜になると牛や羊たちが帰ってきて眠る場所でした。大家さんはその場所を私たちに貸し出すため、牛や羊たちを別の場所へ連れて行き、整理してくれました。

三合院のイメージ(こちらは筆者が撮影した、レストランにリノベーションされた三合院です。本書に掲載されているものではありません)

 すべての軍隊の家族たちが大肚山に移ったのは民国40年6月のことです。

 山での暮らしで最も重要なのは、水でした。水はどこから汲めば良いのかを大家さんに聞くと、彼は娘の雪さんに案内するよう言いました。
 雪さんは水を汲むためのバケツを担ぎ、私たちを井戸へと連れて行ってくれました。

 水井村は長くて曲がりくねった牛車道に沿って作られており、道の両側にはたくさんの三合院がありました。

 私たちが割り当てられた家は村の入り口にあり、井戸は村の奥にあり、その距離はおよそ1キロ半ほどありました。

 村の奥に着くと、そこから100段以上ある石の階段を降りないと井戸まで辿り着けません。水桶を満タンにすると、夫は水を担いでゆっくりと石段を登り始めました。石段は45センチほどの幅がある石で作られており、途中には水桶を置いて休める平地はありません。夫はこのような作業をしたことがなく、半分ほど登ったところで足が震え始め、息切れしながらなんとか石段の上に着きました。地面に座ってしばらく休み、やっとのことで水桶1杯分の水を家に持ち帰りました。

 大家さんは私たちに水を運ぶ体力がないのを見ると、「毎日水桶1杯の水を、一ヶ月10元で娘の雪に運ばせましょう。それで良ければ明日から始めます」と提案しました。私と夫は相談した後、雪さんに頼むことにしました。

 村では、経済的に余裕のある家は電気があり、比較的苦しい家は石油ランプを使っていました。私たちが住んでいた場所は電気がなく、石油ランプしかありませんでした。夜になると石油の煙で白い蚊帳が黒くなってしまうので、はじめの頃は慣れませんでした。

 山の上には四つの村があり、現在の成功嶺から東海大学の辺りまでが大肚山と呼ばれていました。

 民国40年代、皆の生活はとても厳しく、山を下りないと交通手段がありません。四つの村の中で天然の井戸があるのは水井村だけで、他の三つの村には池があるだけでした。

 雨季になると池は水でいっぱいになりましたが、泥水なので、水甕に入れてミョウバンできれいにしないと使うことができませんでした。
 夏に雨が降らない時期は、池の水を使い終わると、三つの村の住人たちが水井村まで水を汲みに来たので、24時間絶えず水汲みの人がいました。

 隣村の人々は、水井村の水をさらに高地へ運び、そこから牛車に乗せて持ち帰っていました。こうした状況は毎年一、二カ月続き、雨季が始まって彼らの村の池に水が戻るまで続けられました。

 当時は皆がこのような日々を暮らしており、特別辛いとは思っていませんでした。
 それともう一つ、村の池で牛を水浴びさせても良いけれど、アヒルとガチョウは水浴び禁止で、もし破ると一羽あたり5角の罰金を科せられるという面白いルールがありました。私はアヒルとガチョウが水の中で排泄すると、水が汚れるからかなと思いました。

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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
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