声が小さい人にとって、追い風の時代
発信をしていると、今はつくづく声が小さい人にとって追い風の時代だと感じます。
ちょっと前までは、声が大きい人、ヒエラルキー(階級)の上に立った人だけが発言権を持つことのできるような構造だったと思うのですが、インターネットのおかげでその構造がすっかり変わりましたよね。
インターネットが普及し発展したおかげで、それまで見えづらかったり、無いことにされていた人たちの声が表に出るようになってきたことを、私はとてもポジティブに捉えています。
もし対立や摩擦が起こっているのだとしても、それはただ相互コミュニケーションに慣れていないだけで、移行期の特徴だと思います。
一方で、
「私が声をあげても意味がないから」
「私はまだ完璧じゃないから」
ついつい、そう思って声をあげるのを思いとどまってしまう思考の癖がついている方もいるのではないでしょうか?
過去の私自身がそうでした。
でも、他でもないオードリー・タンさんから教わった考え方があります。
台湾の成語には「抛磚引玉」という言葉があり、
オードリーさんはそれを、「自らが荒い詩や未成熟な意見をはじめに出すことで、多くの優れた影響を引き出すことができる」といったたとえで教えてくださいました。
(詳細は拙著『まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう』に掲載。)
また、「問題があるからこそ光が差し込む」というのはオードリーさんがいつも発信されているメッセージです。
オードリーさんですらそうなのですから、私たちが少し間違っていたって、声をあげないよりは、あげた方がいいのかもしれない。
そう思えたりしませんか?
私自身も、声の小さい人間です。
シダ植物のように日陰に隠れていたいタイプです。
でも、たまたまこうして発信に携わっていたり、オードリーさんから啓発のシャワーを受ける機会を頂いたので、何度でも、声をあげる練習をして行きましょうと伝え続けたいなと思っています。