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第22章 次女を迎える | 追尋 — 鹿港から眷村への歳月

訳者補足:オードリー・タンの父方の祖母、ツァイ・ヤーバオの自伝『追尋 — 鹿港から眷村への歳月』の第22章です。

※ 原文内容の事実確認による検証・訂正などはせず、そのまま記載しています。

 民国45年に僑愛新村へ引っ越してから、翌年に3人目の子どもを妊娠しました。

 当時私は毎日工場へ材料を取りに行き、家に持ち帰っては服を縫っていました。お腹の中の子どもは日に日に大きくなり、私も動きづらくなっていきました。
 服を作り終えてひと段落し、ミシンから離れて立ち上がると足が浮腫んでいました。ご近所さんたちによれば、それは胎児が腎臓を圧迫しているためとのことです。

 出産日が近付き、休みを取って戻ってきた夫に「もし赤ちゃんが産まれてきた時にあなたが不在だったら、二人の子どもたちをどうしたら良いだろう?」と相談すると、夫は一ヶ月の産休を取れるから安心するよう言いました。

 私たちは時間を計算し、子どもが生まれる2日前に夫が産休で家に帰るようにしました。しかし、私が日付を数え間違えたのか、夫が帰ってきて10数日経っても、子どもが生まれる兆候はありません。このままでは休暇が終わり、夫は部隊に戻らなければなりません。

 私は産婦人科へ行き、助けを求めました。
 医者は、胎児に生まれる準備ができている場合、陣痛促進剤を打つことができると言いました。

 検査を受けた結果、医者から、促進剤の注射はできるけれど、打てば私が苦しむことになると忠告を受けました。私は「我慢します。もし夫の休暇が終わって部隊に戻ってしまったら、私はもっと苦しい思いをすることになりますから」と伝え、促進剤を打って帰宅し、子どもが生まれてくるのを待ちました。

 旧暦新年の元旦の午前11時頃に昼食を取っていると、急に続けてお腹が痛くなったので、夫にもうすぐ生まれるはずだと伝えました。

 当時の眷村には助産師がいませんでしたが、幸いにも近所の馬さんの奥さんが眷村で出産を手伝っているという俞さんの妻さんを紹介してくれました。

 俞さんの妻さんは私を見に来ると、「まだ早いようなのでまた後で来る」と言い、帰って行きました。夜にまた来てくれましたが、夜中になってもまだ生まれそうにありません。

 俞さんの奥さんから外を歩いてくるよう言われ、二人の子どもたちを寝かしつけた後、夫と家の外を歩き回りました。痛みがあれば休み、治ったらまた歩きました。夫がヘトヘトに疲れていたので休むよう言い、一人で歩き続けました。歩かなければお腹の痛みが来なかったので、このままでは危ないと思ったのです。歩きながら、「必ず無事に子どもを産むのだ」と自分自身に言い聞かせました。

 時間は刻々と過ぎて行き、俞さんの奥さんは一度帰り、また見に来てくれました。

 注射を打って2日目、元旦の翌日の朝6時を過ぎた頃、赤ちゃんはやっと生まれてきてくれました。女の子でした。一晩中格闘した後、ようやく無事に乗り越えることができました。

 お隣の齊さんの奥さんは私たちが休んでいるのを見て、「3人目おめでとう! お疲れさま!」と言ってくれました。

 順調に見えたお産も、出産から3日目、私自身の身に思いもよらないトラブルが起こりました。顔と足が浮腫んでしまったのです。

 自分では何も感じませんでしたが、家に来てくれた数名の妻さんたちが発見しました。

「月子」という台湾式の産後ケアをしている間、家には他人が上がることができません。彼女たちは玄関で口々に私の浮腫みについて議論した結果、3人の子どもたちを夫に任せ、孫さんの奥さんが私を連れて桃園の産婦人科へ行き、陣痛促進剤を打った医者に掛かることにしました。

 検査が終わると医者は急性腎臓炎だと注射を打ち、浮腫みはすぐよくなると言いました。

 急性腎臓炎は治ったものの、その後にはもっと恐ろしいことが待ち構えていました。注射を打った後、赤ちゃんに飲ませる母乳が出なくなってしまったのです。

 これは大変だと、漢方薬と豚足、ピーナッツを煮て、母乳の分泌を増やす食事を作りました。太るほど食べましたが、母乳は全く出てきません。

 かわいそうなのは赤ちゃんです。仕方なく粉ミルクを買うしかありませんでした。

 夫の一ヶ月の休暇は、3人目が生まれて10日で終了しました。

 澎湖に戻る前、彼は私が一人で二人の子どもの世話をしながら自分の産後ケア「坐月子」までしなければならないことを心配してくれましたが、私は家族同然のご近所さんたちがいるから大丈夫だと伝えました。

 ご近所さんたちも夫に「自分たちが付いているから安心して仕事に行くように」と言ってくれました。皆にそう言われて、夫は部隊へと戻って行きました。

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近藤弥生子 | 台湾在住ノンフィクションライター
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