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令和元年初日、ASDの長男失踪!
みなさんこんにちは。ライターのやえのです。
「令和」は2019年5月1日にスタートしました。覚えてました?
その日、私と長男は警察のお世話になりました。
その日は映画を楽しく見て帰る予定だった
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ゴールデンウィークかつ、映画の日の5月1日は、小学校6年生の長男と映画に行く約束をしていました。
この日観たのは『名探偵コナン 紺青の拳』
シンガポールの有名なホテルの最上階(船みたなところ)がぶっ飛ぶ映画です。
ところで、我が家の長男は発達障害(自閉スペクトラム症)を持っています。
予定外の行動が苦手、人ごみや外出が苦手な特性があるので、何日も前からその日の予定を伝えていました。
スケジュールはこんなかんじ↓
9時過ぎの電車に乗る
歩いて映画館まで行く
お昼を食べる
電車に乗って帰る
至ってシンプルですが、繰り返し話し、当日を迎えました。
猫に遭遇
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ところが、予定外のことが起きました。
駅から映画館まで歩く道中、野良猫に遭遇したのです(上の写真)。
長男は猫が大好き。今から映画を見るというのに、すっかり忘れてしまったかのように夢中で猫をなでて遊んでいました。
上映時間も迫っていたので「また帰りに会いに行こうね」と引き離し、映画館へ。
映画を無事見終わって、食事に行こうと話したとき「猫に会いに行く」と言い出しました。
けれど、私はお腹がすいていた。アイムハングリー、いやスタービング。
中国語だと餓死了。
街に子供と2人。これは外食のビッグチャンス。何を食べようかとウキウキマックスでした。
脳内は「レモンステーキにしようか、それとも気になってたジンギスカンのお店にしようか、とんかつもいいなブヒブヒ……」と食べることに全集中していました。
そして「ねこちゃんはごはん食べてからまた会いに行こう」と心にもないことを口走っていました。
けれど息子は「猫ちゃん!」と譲らない。
思い出してみてください。わたしは映画の前何と言ったか。
そう、「また帰りに会いに行こうね」と言ってしまった。
親は嘘をついてはいけませんよね。会えると思っていなかったのにそんな口から出まかせを。
「何を食べたい?」と聞くものの息子は「食べん!」と一点張り。
ここまできたら私が折れるしかありません。お腹と背中がくっついていましたが「じゃあご飯は食べないで帰ろう」といい、心で泣きながら駅まで歩いていきました。
途中、猫がいた道も通りましたが、もちろんご不在でした。
さらに長男は不機嫌になり、私との距離がどんどん遠くなってしまいました。そして、駅の前で行方をくらましてしまったのです。
失踪
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先に駅の構内に入ったかと思い、探しましたが見つからず。
「怒って隠れているのかもしれない」としばらくベンチに座り、探さないふりをしてみました。
出てきません。
急に振り向いてみたり、柱に隠れてみたり。いろいろやってみましたが……。
出てこない。わたし、完全に不審者。
1時間。
現れません。
私は、不安になり、夫に電話をしました。「○○がいなくなった」
すると、夫は
「今、ハンバーガー買ってるから」
と言って、話半分に、電話を切ってしまいました。
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その日夫は、帰省していた長女とハンバーガーを食べてから、住んでいる岡山まで送る予定になっていました。
「探しても見つからない、一緒に探してほしい」と再び夫に電話しましたが
「もう高速に乗ったから。もう今福岡だし。」
とまた電話を切る。
私の心配をよそにさっさと長女と一緒に佐世保を離れていました。
そうだった!夫も予定外のことが対応できないタイプだった!さすが親子です。
私一人で探さないといけないと途方にくれていたとき、ちょうど巡回していたおまわりさんに遭遇しました。
「一時間前から子供がいなくなってしまいました。」
取り調べ室みたいな部屋へ
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警察官は「お話を聞きましょう。」
と足早に駅構内にある駐在所に私を促しました。
入口で私の名前、職業、誕生日、住所、子供の名前、誕生日、さらに夫の名前、職業、誕生日などなど聞かれます。
どういう状況でいなくなったのか詳しく話すと、奥の部屋へ連れていかれました。
そこから今朝から現在に至るまで事細かに説明をしました。
子供に発達障害があることも説明しました。
無表情の警察官が繰り返し同じような質問をしていきます。育児についても色々聞いてきます。なんでここまで詳しく話さないといけないのか、そう思うくらい普段の様子など聞かれました。
市内の警察署や私服警官に連絡を入れているようでした。
30分くらいしたころ、こう尋ねられました。
「捜索願を出しますか?」
捜索願!!
このキーワードを聞いてから
「誘拐」「事故」「事件」「失踪」「身代金」
とわたしの頭の中でサジェストワードがどんどん浮かんできます!
ふたたび私は主人に電話。
警察に今探してもらっている、捜索願を出すかどうするか話しました。
夫は
「警察にまかせれば?捜索願だして探してもらえば。」
と言い、あっさり電話を切ってしまいました。多分、もう山口あたりにいたのでしょう。
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警察の度重なる質問と捜索願という言葉に、不安で押しつぶされそうになりました。体の震えがどんどんひどくなるのを感じました。
無事保護
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行方不明になって2時間以上経ちました。相変わらず私は駐在所の奥の部屋にいて、借りて来た猫のようになっていました。なぜか引き止められているような、そんな気もしました。
警察は捜査範囲を広げてパトロールしているようでした。
相変わらず見つかりません。
もしかしたら帰っているかもしれない。そう思い、近所の知り合いに電話をし、自宅周辺を見てもらうようお願いしました。
すると数分して折り返しの電話があり、
「家のまえにおったよー。うちに連れて帰ったけん。今ばパン食べよるよ~。」
とのこと。なんと10キロ以上の道のりを一人で歩いて帰ったようでした。
ほっと胸をなでおろし、見つかったことを警察に話しました。警察は長男を保護しに知人宅へ。
そして、私はパトカーに乗って家の近くの警察署へ向かいました。
長男は知人宅からパトカーにのって警察署にいき、私と無事対面。
その時、たくさんの警察の人に囲まれました。
私の一挙手一投足をじーっとみる警察のみなさま。
「心配したよ、一人で勝手に行かないでね。」といい、警察署の方にありがとうございました、ご迷惑おかけしましたと頭を下げました。
そして親子でまたパトカーにのって帰宅しました。
長い一日でした。
虐待を疑われていた
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知人宅に警察が長男を保護しに行ったとき、警察は私が長男に虐待をしていないか聞いたそうです。
その知人はちょっと怒りながら「やえのさんは一生懸命子育てしてます!虐待なんてとんでもない!」と答えてくれたそうです。
警察署で引き合わせるのも、虐待の疑いがあったからのようです。駐在所に引き止められ、根ほり葉ほり聞いてきたのもそのせいでした。
長男は全身の写真を撮られていました。
警察では子供がいなくなった時、一番に虐待を疑うようでした。
最後に警察からは「もしいなくなるようなことがあったら、すぐに警察に連絡してください。時間が経てば経つほど操作範囲も事件の可能性も広がってしまうので」とアドバイスをいただきました。
なるほど。覚えておく。でも、もう二度と「いなくなった」なんて連絡したくないけどね。
令和元年、と聞くたびにいつも思い出す出来事でした。