大関・貴景勝の早過ぎる引退、そして続々と妙義龍に碧山が😂
大関・貴景勝が引退を発表。年寄・湊川を襲名。ここのところずっと首のケガで皆勤できなかったので、やむを得ないかとは思う。ただ身長175cmにして、最盛期は180kgと太り過ぎていたのでは。そばにいた時に、歩くだけでフウフウ言っていた。大関・北天祐の娘さん(モデル)と結婚されていたから、年寄株は持っていたと思う。しかしまだ28歳だけに衝撃で、かつ哀しかった。もともとが貴乃花部屋だった。貴乃花親方の退職によって、常盤山部屋に合流。貴乃花親方が部屋を放棄し、常盤山親方との不和説も流れる中、日々が精神的にも安定していなかったのではないかと危惧していた。
優勝🏆4回。横綱に昇進しなかったのが、魁皇と共に不思議な戦績。日本相撲協会は、横綱昇進の要件を連続優勝にこだわる必要もないのではなかろうか。貴景勝は押し一筋で、四つ相撲に流れることはなかった。そこには美意識すら感じさせた。貴景勝には2人のライバルがいた。1人が幼い頃から切磋琢磨してきた阿武咲。貴景勝は芦屋の佐藤、阿武咲は青森の打越だった。共に突き押しで競ってきた。もう1人が朝乃山。かたや押しの貴景勝、かたや四つの朝乃山。四つ相撲が主流になりがちな大相撲。貴景勝は自らを現役大関で突き押し派の代表、大関に上がってきた朝乃山を四つ相撲派の代表と見た。ともすれば劣勢になりがちな突き押し派が、四つ相撲派に闘いを宣戦布告した。残念ながら朝乃山はコロナ期間の外出問題で1年間の謹慎。これで好敵手が雌雄を決する機会は失われてしまった。まったくのところ、朝乃山にキャバクラでタカって、嘘を強要した日刊スポーツ記者は罪なことをしたものだ。
貴景勝に引き続いて、妙義龍、碧山とベテラン力士の引退が続々と発表された。妙義龍(境川部屋)は年寄・振分を襲名。碧山(春日野部屋)は年寄・岩友を襲名。どちらも学齢38歳で、最高位は関脇のベテラン力士。特に碧山は外国人力士(ブルガリア🇧🇬)なので、親方として残れるか心配だったが、既に帰化も済ませていて無事に襲名。妙義龍は業師で技能派。地味な存在だったが、玄人筋の人気が高かった。碧山は突き押しと変化のパワー相撲。稽古場横綱と言われるくらい強いが、本場所では実力をなかなか発揮できなかった。しかし時には優勝戦線に絡むくらいの大勝ちをした。妙義龍は埼玉栄高校相撲部出身なので慶天海の断髪式で、碧山は春日野祭で写真を撮らせてもらった。そして両力士の引退は振分親方(大徹)の退職、岩友親方(木村山)の逝去という、親方衆のお別れも伴っている。