マタイによる福音書第4章1〜11節②「試さずに信頼する」
8月25日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。この日の題材はマタイによる福音書第4章1〜11節②「試さずに信頼する」。
「荒野の試練」と呼ばれるこの箇所を3回に分けての説教の2回目。この日は5〜7節、悪魔がイエスに聖なる都で「宮殿から飛び降りろ」と唆す。ここで言う聖なる都とはエルサレムを指す。宮殿とは建物の頂上を指すが、これはおそらく神秘体験だったのだろう。ここで悪魔もイエスも聖書を引用して応酬している。悪魔は詩篇91篇12節「彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする」である。これに対してイエスは出エジプト記第17章7節を以ってこれに答えた。「そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが『主はわたしたちのうちにおられるかどうか』」と。さらにこの箇所は申命記第6章16節「あなたがたがマッサでしたように、あなたがたの神、主を試みてはならない」と密接に関わった箇所である。水の枯渇に苦しんだ彼らとしては、やむを得ない状況から生まれた試しだったのだろう。
ある同僚牧師は父母弟とも牧師だった。しかし兄だけはノンクリスチャンだった。これは大学受験の際に腹痛を覚えて、回復を神に祈った。しかし祈りの甲斐もなく、健康は旧に復さなかった。彼は『こんなに祈ったのに、神さまは僕を助けてはくれなかった』と思った。もちろん試験には落選して、その後はキリスト教から遠ざかった。またある漫画家が書いた小噺が、ちょっと引っかかった。「この世に神さまはいない」。ある日焼いたパン🍞にバター🧈をつけて食べようとした。しかしポロリと落としてしまった。彼が言うには「それなら神さまはバターを塗った裏面から落としてくれればいいのに」。これを読んで、ちょっとどうかと思った。神さまは便利屋ではないし。、あくまで神が主で、私たちは僕である。
ある女性は結婚を前にして『結婚するのは本当にこの人でいいのか?』と相手を試してみた。結果的に男性は合格して、二人は結婚した。まあ婚前ならともかく、結婚してからもこういうことを続けていては、夫婦仲が大丈夫かどうか危ぶまれる。疑わずに信じるということが愛することであって、すなわちそれは信頼するということである。従って出エジプト記第17章のように、民衆は神さまを試すべきではなかった。既にモーセは紅海を真っ二つにする神の奇跡を見せていたのだから。人生はうまくいく時も、いかない時もある。いつも晴天ということはない。しかし太陽がなくなるわけではない。神さまはキリストを十字架で死なせて、悔い改める人々の罪を背負わせたのだから。そしてイエスを復活させて、われわれから滅びと永遠の死を免れさせ、永遠の生命を賜ったのだから。ー
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