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「ルカによる福音書」第10章25〜37節「よきサマリア人とは誰のこと」

10月13日における尾久キリスト教会の広瀬邦彦先生による説教。テーマは「ルカによる福音書」第10章25〜37節「よきサマリア人とは誰のこと」。

「ルカによる福音書」第10章25節
「ルカによる福音書」第10章25〜35節
「ルカによる福音書」第10章35〜37節


 今日取り上げた箇所は、最も有名なイエスの例え話である。8〜9年前に、電車の中で青年に席を譲られたことがある。私は現在54歳であるが、当時はなおのこと譲られた意味がわからなかった。せっかくの好意であるからお受けしたが、よくよく考えてみたら、自分は人形劇に使う白く長い棒を持っていた。青年はこれを杖だと思い、自分を目の不自由な人だと考えたのだと気がついた。青年の親切に感謝するとともに、逆に申し訳ない気持ちになった。「見知らぬ人に親切にしよう」、すなわちGOODサマリアンは隣人愛を意味する。しかしこの話は単なる道徳教育ではない。この話には6人(6組)が登場する。
1️⃣襲われた旅人(エルサレムからエリコに旅するユダヤ人)
2️⃣追い剥ぎ(悪人集団)旅人から身ぐるみ剥がして、殴打暴行
3️⃣祭司〜宗教家、正しい人、ユダヤ人
4️⃣レビ人〜宗教家、正しい人、ユダヤ人
5️⃣サマリア人〜ユダヤ人と犬猿の仲、ユダヤ人から見たら「汚れた人」
6️⃣宿の主人〜サマリア人からお金を貰って旅人を介護
 さて貴方はこの中の誰に当たるだろうか? ある高校生は「自分は6️⃣宿の主人だろう。お金を貰えばケガした旅人に親切にした」。牧師である自分はどうであっただろうか? 『牧師だから助けたかもしれないが、それは職業柄であったからで、心からの行為だったのだろうか?』。もしかしたら誰かを傷つけた自分は2️⃣追い剥ぎだったのかもしれない。誰もが1️⃣から6️⃣までの人物に少しづつ似ている。その中でキリストこそは5️⃣サマリア人の姿である。良きサマリア人に、キリストの犠牲を見る。全ての人は犠牲者でみあり、罪人でもある。イエスは罪を引き受け、十字架で死んだ。その行為は、われわれを滅びから救った。キリストの憐れみは、神の憐れみを意味する。第37節「あなたも行って、同じようにしなさい」というイエスの愛を受け入れることが肝心である。

傷いた旅人を助けるサマリア人
行き倒れていた旅人を宿屋の主人に預けるサマリア人

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