故錣山親方(寺尾)への夫人の想い
X(Twitter)で寺尾夫人である福薗伊津美氏の「婦人公論」インタビューが紹介されていたので、dマガジンで読んでみた。雑誌サブスクのいいところはバックナンバーも読めること。掲載号は2024年6月号だが、バックナンバーは2023年8月号まで遡って読める。
題して「『また明日』が夫・寺尾の最後の言葉」。寺尾=錣山親方は角界からも人望があり、ファンも多い人気力士だった。末期の病室ではカリカリに痩せた、歩行器生活だった。「葬儀は身内で。やるとしても部屋の中で」と語っていた寺尾だったが、棺が病院から部屋に帰って来た時には報道陣が集まり、通夜前には600人が部屋に訪れた。そして通夜には800人、告別式には400人が参列した。愛弟子の阿炎は周囲に止められたが、初優勝の賞状を「また優勝すればいいので」と棺に入れた(ちなみに彼は前夜に遺体と添い寝したそうだ)。死因は心臓病だったそうだが、若い頃からずっと不整脈だったそうだ。自分もそうなので、気をつけなければ。努力の人だったので、稽古で噛み締め続けた奥歯がすっかりなくなっていたことを、奥さまは愛おしげに語っていた。身体が細く、寝ているだけで痩せるので、深夜まで食事で体重維持に努めていた。
奥さまは8歳姉さん女房で、22歳の寺尾と出会った。バイト先だった代官山の喫茶店で懇意になった、亡き五代目柳亭痴楽師匠のご縁だったそうだ。バツイチで子連れの奥さまは結婚は頭になかったそうだが、寺尾の明るさと優しさにほだされて結婚なさったそうだ。真面目で繊細だった錣山親方は、いつも弟子のことを記録して、心にとめていた。そんな親方と女将さんとして、人生の苦楽を共にした奥さまの思いは深い。明るく語る口調の裏の喪失感にズンと来る。それでもお互いを大切に支え合ったご夫婦の物語は、読んでいて癒される。精一杯の人生を生き抜いた爽やかさとは、かくなるものであろう。