「地の塩」生命の尊厳
尾久キリスト教会の高橋武夫牧師の11月2日の説教から。この日はマタイ伝第5章13節の「地の塩」。イエスによる山上の垂訓から「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである」が題材。
そこでエピソードとして紹介されたお話。岡山県の久米郡柵原町(現在は美咲町)に赴任していた頃、教会から2時間近くをかけて通っている女性がいた。彼女の夫は長距離トラックの運転手だった。なかなか子供に恵まれなかった二人だが、待望の一児を授かった。しかし医師の診断では、産まれてくる子供はダウン症の確率が高く「次のお子さんに期待してはいかがでしょうか?」と勧められたという。悩んだ末に、妻は出産を決心。夫はそれを後押しした。結論を決めた上での報告を牧師先生は妻から受けたが『決める前に相談されていたら、自分はどう答えただろうか?』と考えた。『もしかしたら医師と同じ答えをしたのだろうか?』と自問自答した。結果的に産まれた男の子は医師の言う通りダウン症だったが、症状は軽かったそうだ。同じ悩みを持つ親の会に出席すると、どの親たちも出産後に自分の子供がダウン症であることを知った。しかし自分たちだけが出産前からこのことを知っていたことを会の中で誇らしく証した。ノブ君と教会のみんなに呼ばれた彼は人柄も良く、皆に愛されて二十歳で天寿を全うした。この妻である女性が独身時代に通っていた教会の牧師先生が、久能木昭先生。ちなみに久野木昭先生は、NHKの渡邊あゆみエグゼクティブアナウンサー(旧姓は久能木あゆみ)の父親である。縁というのは不思議なものである。人は生きとし生けるものであることで「地の塩」である。聞いていて、ホロリとするお話であった。http://oguchristchurch.jp
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