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介護の道に進んだ職場の先輩

前の前の職場である日販のK先輩のお宅を訪問させて頂いた。お互いに退職してから10年くらい会っていなかった、3つ上の先輩であった。すっかりご馳走になってしまったが、訪問した一因がK先輩の退職後の職業のお話しを聴くこと。母親の介護に苦労している連れ合いが聞きたがっていたので。K先輩は新たな職業として、出版流通業とは全く違った介護業務を選んだ。その介護施設は、自身の母親が介護でお世話になった公立の施設だったそうだ。担当業務は車での高齢者の送迎だったそうだが、運転している時間以外もデイケアの補助業務があったそうだ。それは高齢者の話し相手やオムツの交換など様々な雑多な業務があったそうだ。その中でも辛かったのが、高齢者の入浴後に髪を乾かせる仕事だったそうだ。他人の髪に触るというのが苦痛だったそうだ。たしかに理髪業でもない限り、家族以外の髪の毛に触る機会は、そうそうない。


 K先輩は、仕事以外でも自身の父親の介護でも苦労されたそうだ。自立意識の強い父親で、ヘルパーの来訪も拒んだ。認知症が進んで、オムツを洗濯機で洗って困ったことも。紙オムツは洗濯機の中で、バラバラに散乱して、その回収は大変だそうだ。手術で入院した際も、点滴を外して帰宅しようとするため、兄弟3人で24時間付き添いを病院から課せられた。足腰がシッカリしていたので、外出した時に頭を打って、そのことが原因で亡くなったそうだ。要介護認定5になった翌日のことだったそうだ。
 いずれにせよ聞いていてカルチャーショックを受けた。自分は老人介護に手を染めたことはなく、そのような生々しい事態に接したことはない。しかしK先輩や連れ合いは、介護の苦労を日常の生活としていた。そのことを自分は恥ずかしく思う次第。日本の介護保険は、長寿大国として必須の制度である。その基盤の上に介護業務に精出す人々の献身的な働きがある。いつか自分自身もお世話になる機会が来るかもしれないが、逆にお世話する局面が来たら覚悟して臨みたい。

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