私が生まれた幸運二つ
終戦記念日である。自分がこの世に生を受けたことには二つの偶然があった。一つは戦犯であった父が絞首刑を免れたこと。これは中国🇨🇳ソ連🇨🇳の二大共産主義国家と米国の冷戦や朝鮮戦争が背景にあった。日本🇯🇵を防共拠点として認識した米国🇺🇸は態度を変えた。当初は片っ端から絞首刑だったBC級戦犯が、減刑されたり、軽い刑で済むようになったからだ。
もう一つの偶然は原爆投下が小倉でなく長崎に落ちたことだった。長崎には軍需工場が多かったことも長崎に落ちた理由とされるが、当初の攻撃計画は当時の小倉市だった。母は小倉市の中心部にある寺で育っていたので、投下されたらひとたまりもなかっただろう。当日は天候が悪く、B29から下界への視界が得られなかったそうだ。母が助かったかわりに、長崎市民24万人のうち7万人以上が亡くなった。
自分がこの世に生存しているのは、単に父と母が結婚したからというのではなく、二つの偶然がその結婚の前提となった(お見合い結婚だったそうだが)。だから自分は大したことない人間ではあるが、長崎で亡くなった方々のかわりに、自分の生命を大切にしなければいけないと思う(写真は長崎被爆地の焦土)。