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高校の同級生、五年目の墓参り

今年も川越に高校時代の友人の墓参り。菩提寺「養寿院」では、彼の一族の墓だけが特別の区画になっている。歴代が塩・油・肥料を業としてきた豪商である。ことに第10代が大活躍。埼玉県唯一の国立銀行となった埼玉銀行の創設に参加し、商工会議所を設立し、後の西武鉄道の発起人にもなって、初代市長となった。木の扉を引くと、百ほどの一族の墓石が並んでいる。彼が眠る墓石の前で30分ほど語りかける。若くして亡くなった無念の想いを、墓の下から汲み上げる。強くなった初夏の陽光。藪蚊🦟に喰われ始めたので『また来年』と心の中で呟きつつ暇する。お寺からは駅まで歩いて帰る。小江戸として観光都市で栄えているので、新宿・渋谷に負けない人出である。ここに来ると、いつも「龜屋」に寄って芋菓子を買う。芋と鰻が名産な地。死者が静かに眠る寺町の傍らで、大勢のカップルや家族連れが賑やかに闊歩する。その静動の対比に世の無常を感じる。

 あいつが亡くなってから五年が経つ。学生時代は奴の自宅に泊まり込んでよく麻雀した。ウィスキーの水割りを飲みながら打っていて、お腹が冷えて痛くなって、お母さんに救急車を呼んでもらったこともあった。山岳部だったので、水泳部と一緒によく丹沢を走って登り降りした。卒業してからも、奴が酒造メーカーに勤めたので、彼のお得意先に予約して宴会した。いつも世話好きで、人懐っこいやつだった。みんなみんなとってもお世話になった。「そっと眠らせてやろう」という同級生もいる。そうは言っても、去る者日々に疎し。今や命日を思い出す人も家族と自分くらいだろう。いつも墓参りでは花は置かず、帰ってから彼の姉経由でお母さまに花を贈る。息子に先立たれたお母さまはさぞかし『自分が代わってあげられたら』と思ったことだろう。逆縁はさぞかし辛かろう。

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