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ハンセン氏病「神山復生病院」のナイチンゲール
尾久キリスト教会での9月6日の高橋武夫牧師の説教。この日の題材は「ローマ人への手紙」第8章28節から30節。「神は 、神を愛する者たち 、すなわち 、ご計画に従って召された者たちと共に働いて 、万事を益となるようにして下さることを 、わたしたちは知っている 。神はあらかじめ知っておられる者たちを 、更に御子のかたちに似たものとしようとして 、あらかじめ定めて下さった 。それは 、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった 。そして 、あらかじめ定めた者たちを更に召し 、召した者たちを更に義とし 、義とした者たちには 、更に栄光を与えて下さったのである」。
この引用箇所から、以下のエピソードを紹介。それは富士山麓「神山復生病院」(御殿場市)で婦長を務めた伊深八重女史の生き様。22歳の若さでハンセン氏病と診断された彼女は、長崎の女学校の教職を奪われた。そして「神山復生病院」に隔離されて一週間。身体中の水分がなくなるほどに泣いたという。しかし一向に発症しないため、牧師である五代目院長のレザー院長は再検査を勧めた。その結果は一転陰性。社会復帰を勧める周囲だったが、八重はこれを機に、ハンセン氏病に取り組む病院の意義を再認識。看護師の資格を取って、唯一の女性職員として「神山復生病院」に戻ってきた。その後91歳まで婦長を務め、マザー・テレサから賞賛されて「ナイチンゲール賞」を受賞した。彼女の一生は遠藤周作「わたしが・棄てた・女」のモデルでもある。ハンセン氏病という不幸に見えた出来事も、実は神による人生の恩寵であったという話しである。
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