「ローマ人への手紙」第13章、「光の武具」を身に纏う
5月29日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教。題材はローマ人への手紙第13章11〜14節、テーマは「主イエス・キリストを身にまとう」。「ローマ人への手紙」は使徒パウロの有囚書簡。獄中から信徒を励ます手紙を書き続けたペンの力。
言葉という意味で映画評論家の故淀川長治氏は、よく外国人とこんなゲームをした。身の回りの何かを指差して、それを相手国側の言語で答える遊び。例えばアメリカ人が壁を指したら「WALL」と答える。ある時に相手が無花果の葉を指した。英語で無花果(fig)が浮かんで来なかった淀川長治氏は「創世記」でアダムとイブの下りを思い出して「Adam’s Pants」と答えて、アメリカ人を爆笑させたそうだ。着衣という行動は、アダムとイブが蛇に唆されて知恵の実を食べてしまったことで、自らの裸恥じて無花果の葉で下半身を隠したことに始まる。今日の題材の「ローマ人への手紙」第13章では「光の武具」を身に纏うとある。主の御恵みを身に纏えば怖いものはない。パウロはギリシャ神話の巨人神クロノスが時を喰らうのに例えて信仰の即時受け入れを、さらにギリシャ神話でチャンスの神と見なされていたカイロスに例えて信仰に至るチャンスと説く。
牧師の原崎清先生は奥さまの百子(ももこ)夫人が癌に冒された時に、医師から本人がショックを受けないように口止めされた。しかし末期癌で先が長くないと知って、医師の許可を得て妻に余命が短いことを告知した。告知を聞いてから百子夫人は47日間日記を書いた。それが彼女の余命だった。一周忌になって原崎先生は夫人の日記に自らのコメントを寄せて「わが涙よ、わが歌となれ」という本に編んで出版した。日記には癌を告知されて余命を知らせてもらったことへの感謝のメッセージが綴られていた。この話を説教していたら、妻の高橋ひろ子先生が礼拝の部屋から出て行った。『何か用事ができたのだろうか?』と訝しく思っていたら、一冊の本を持って来た。その本こそが「わが涙よ、わが歌となれ」だった。自分の着任時にはその本は教会に置いてあり、高橋ひろ子先生は置いてあることに記憶があったそうだ。
旧約聖書の土師記にはサムスンという剛力の士が登場して、イスラエルと敵対したペリシテ人をやっつける。ペリシテ人を妻にしようとして、その婚約者をペリシテ人たちに殺されたからである。しかし力が髪にあることから、それを新たな妻にペリシテ人に密告されて髪を切られて力を失くして捕縛されて両目をくり抜かれて獄舎に幽閉される。檻から出されて見せ物にされたが、閉じ込められていた間に髪が伸びていた。死して後も髪のパワーで広間の大黒柱を引っこ抜いて大暴れ。サムソンは生きている時以上のペリシテ人の死者をもたらせたとのことだった。ちなみに旅行鞄のサムソナイトは、このサムソンがネーミングの由来である。信仰は衣服のように一体となるべきである。
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