タラントの例え話
7月31日の尾久キリスト教会の高橋武夫先生の説教。テーマはマタイ伝第25章14〜30節「預かった賜物を生かす」。主人から3人の使用人のうち1人Aが5タラント、もう1人Bが2タラント、さらにもう1人Cが1タラントを預かった。タラントとはタレントの語源でもある。イスラエルでは貨幣の単価だが、1デナリオンが1日の給料を指すが、タラントは6,000デナリオンに相当する。今の日本の経済感覚からすれば、1タラントは6,000万円くらい。1年後にAとBは商売で2倍に資金を増やしたが、Cは資金を隠して同額を差し出した。主人はAとBを褒め称え、Cを罵倒して追放した。あまり新約聖書らしくない挿話だが、主人とは神を指している。
ある中学生の少女が教会で「なぜ世の中には美人と不美人が存在するのか?」と質問した。もちろん美の基準は時代や地域によって変わる。ただ彼女が指摘したかったことは、世の中には不公平や不平等が存在するということだった。そのような相違が差別を生むこともある。美人不美人だけでなく、国籍、性別、体格、貧富などありとあらゆるところに不平等は存在する。それを運命論=宿命論にしてはいけない。人には選択する自由があって、持って生まれた運命を変える力とチャンスがある。
12使徒がイエスに随行していた際に、少しイエスから離れて「自分たちの中で誰が一番偉いか?」という話題に興じていた。イエスはそれを耳にしながら、知らぬふりで「皆は何の話しをしていたのか?」と問うた。その問いに全員が凍りついたように黙り込んだ。興味=interestの語源はギリシャ語のインテレッセで「内に立つ」という意味。内に立つと競争心が芽生え、嫉妬や憎悪を生む。12使徒は神の大義や愛から、自らの立身出世に心を奪われたのである。これは神から与えられたタラントの増殖に全く努めていない。イエスはそこを暗に諫めた。
静岡県牧之原市の榛原教会の長沢巌牧師は知的障害児のための「牧之原やまばと学園やまばと希望寮」をはじめ3つの社会福祉施設を設立運営している。きっかけは長沢巌牧師の姉が知的障害児だったこと。一つ間違えば、それは自分だったかもしれないという思いだった。信濃村伝道所の清水恵三牧師は「悩みには個性がある」と語った。それは信徒の若い男性が体臭を気にして、医師にかかっても治療効果なく、教会に相談に行って適切なアドバイスを得られずに東北の雪に身を投げて自殺してしまったことへの悔恨によることばだった。教育=educationは、ギリシャ語の「引き出す」が語源。マタイ伝第25章のエピソードは、神から与えられたタラントから自身の努力で何を引き出すことができるのかという問いかけである。