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「地球の歩き方」その再生と躍進

東京都立大学同窓会「八雲クラブ」が主催する隔月勉強会「八雲サロン」。講師は東京都立大学OBが原則。3月の講師は(株)地球の歩き方の新井邦弘社長。八雲クラブ委員からの熱烈ラブコールで、業界人の私から交渉してみたらアッサリ承諾してくれた。

講演する(株)地球の歩き方 新井邦弘社長


八雲クラブの聴衆


 「地球の歩き方」は、ダイヤモンドピック社から学研グループに2020年12月に事業譲渡された。社長に任命されたのは、ムー、歴史群像などの雑誌編集畑を経て、グローバル室長を務めていた学研一筋の新井邦弘氏。社内からは「火中の栗を拾った」とも言われた。もともと「地球の歩き方」はコロナ禍によって、業績悪化したことでダイヤモンドピック社がギブアップ。学研グループでは、会社を閉じたダイヤモンドピック社から従業員を再雇用して再起に臨んだ。しかし譲渡時期は依然としてコロナ禍から脱却できていなかった時期なので、旅行需要も戻らず、海外に取材にも行けない状況だった。当初は「『地球の歩き方』かくあるべきか?」などと社内でディスカッションする時間だった。
 そんな「地球の歩き方」が第一歩を記したのが「地球の歩き方 ムー-異世界パラレルワールドの歩き方」だった。これはムー編集長だった新井社長だからこそ出せたアイデア。第二弾は「地球の歩き方 JOJO ジョジョの奇妙な冒険」。集英社に飛び込み訪問で企画を成就。実際の旅行からはかけ離れたこの2つの企画は、いずれも10万部を超えたヒット作となった。この後「日本」「東京」を刊行して、これまたヒットとなった。これまでの「地球の歩き方」は常に外国をテーマにしていた。しかし東京オリンピックでのインバウンド需要を期待しての刊行だった。実際には東京オリンピックは延期されて『オヨヨ』となったが、本は売れた。「日本」は1,000頁を超える分厚さ。行先を決めてから買うのではなく、行先を決めるためのガイド本という逆転の発想だった。「東京」には「東京が全部出ていない」との声に「東京多摩地区」がヒット。これらのヒット連発に「JAPANシリーズ」が続々と刊行。記憶に残る本では「北九州市」もベストセラーに。ここからがすごい。「地球の歩き方」ミニ本でガチャポン。ハンズ向けに「ハンズの歩き方」など企業本の受託。まさに「地球の歩き方」マルチユース。師曰く「革新とは新しい何かを作ることではない。今までの何かに新しい何かを組み合わせることである」。言われてみれば、確かにそうである。
 「地球の歩き方」再出発に当たって、多くの読者から「世話になった」「復活してくれてありがとう」という声をもらった。これはブランドの力。自分たちが授かった使命に誇りを感じた。だからブックデザインは変えなかった。故に出版元が変わったことを気がつかない読者もいたはず。自分だってバックパッカー時代にお世話になった。今でも1986年版「中国」、1988年版「ヨーロッパ」はずっと大切にして持っている。廃業で頭が垂れていたダイヤモンドピック社の人々が、改めて頭を持ち上げられるように腐心した。昨今では「東京多摩地区」ヒットを機に、様々なテレビ番組や雑誌に紹介されて、広告予算もなかった「地球の歩き方」にとって普及にありがたい限りな状況となった。近刊に於いては「地球歩き方 ムーJAPAN版」というムー×JAPANというヒット要素の2乗版、「神奈川」なども予定している。乞うご期待。
https://www.arukikata.co.jp


ダイヤモンドピック時代の「地球の歩き方」ヨーロッパ編
ダイヤモンドピック時代の「地球の歩き方」ヨーロッパ編 当時の欧州地図
ダイヤモンドピック時代の「地球の歩き方」ヨーロッパ編 奥付
ダイヤモンドピック時代の「地球の歩き方」中国編
ダイヤモンドピック時代の「地球の歩き方」中国編 奥付
新刊 ムーJAPAN
新刊 神奈川

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