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言語習得の過程を横で眺める

娘が二人います。

国語科教員として、そして日本語教育を学んだ者として、彼女たちがどのように言語を習得していくのかを見るのは楽しみでした。ここではそれを眺めながら気づいたことをメモしておこうと思います。今日はとりあえず二つ。

「届ける」
まず思い浮かぶのは「届ける」です。「届ける」と言っても、「くろやぎさんのおうちに手紙を届ける」の「届ける」ではなく、「いちばん上の棚に手が届く」の可能形であるところの「届ける」です。つまり、

「○○ちゃん、棚に手が届く?」
「うん、届ける!」

という使い方になるわけです。

これ、うちの上の娘も下の娘も、あとは姪っ子甥っ子も言ってましたね。
確かに「届くことができる」は「届ける」という形に活用するのが筋というものですから、「読むことができる」を「読める」と活用するのだと習得した彼女たちは、届くの可能形として「届ける」と言ったわけです。

正しい。全くもって正しい。

でもその「届ける」は使わないんですよね。
つまるところ「届く」にはすでに「到達することができる」という意味が含まれているため、それ以上に可能の形にする必要がないのでしょう。でも身近な子供たちがこぞって「手が届ける」というルートを通ったので、おおお、なるほど〜〜〜!と思ったのでした。


「おいだ」
笑ってしまったのが「おいだ」ですね。これは次女が言いました。

「○○ちゃん、こっちおいでー」
と私が呼ぶと、とてとてとて……と走ってきた次女は私の目の前で立ち止まり、

「おいだ!」

と叫んだのでした。

「来て」「来た!」というやりとりをしようと思ったんでしょうね。で、「おいで」と言われたから「おいだ」と。「おいでる」からの「おいでた」ではなく「おいづ」からの「おいだ」(?)だったのが面白かったなあという思い出でした。

……可愛かったなあ……


他にも何か思い出したらまた書き残しておこうと思います。


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