懐うぺトリコール夕方5時
「私たちは、解散します。」勝手に消えたプロデューサーの代わりに文章を泣きながら打った茅ヶ崎の星乃珈琲、
「お前は俺のことが嫌いなのか?」と辞めると告げた部活の顧問に教官室に二人きり閉じ込められた中学校の武道場、
中学生の頃一緒に沢山悪い事をした同級生が人生の幕をを自ら下ろした報せを聞いた越谷の駐車場、
浮気を問い詰めたら「寂しかった」と大の大人の男に大泣きされた地元のはずれの県営団地の自販機前、
私の人生における、トラウマ級に嫌すぎて忘れられない記憶ってだいたい何故か雨の日が多い気がします。
梅雨入りと共に生まれたので、毎年この季節が来ると、私が歳をとるのが先か自分の街が梅雨入りするのが先か、自分の中だけでの賭けが始まったりしたり。たまに忘れる年があったり。
物心ついた時から、私が外に出た瞬間雨足が強まったり、そのあと目的地にずぶ濡れのまま到着した瞬間晴れたり、マジで雨本当になに。
昔から雨が降ると、朝早く保育園に預けられて、先生の腕の中で遠くなる母親の後ろ姿を眺めた時の気持ちになったり、学校で熱を出してカーテンと天井だけの視界のなか私の家に電話をかける保健室の先生の声を聞いている時の気持ちになったりします。
多分その感情にいちばん沿った名前は「寂しさ」だと大人になってから気づいたけれど、別にだれかと居たいわけでも誰かと話したいわけでもなく、暗い歌を聴いて体育座りをして丸一日やり過ごしてここまで生きてきました。
車を運転するようになってからはひとりでドライブしてみたり。
先日久々に会った父にひとり旅たのしいよー、なんて話をしたら、「理解できない、俺は人と居たい。寂しくて死ぬ」って言ってました。
ウン十年生き続けたオッサンでも寂しさで死にそうになるならばきっと寂しさの出口なんて無いんだろうなあ。出口を探すことがそもそも間違いなのかな。
どうやら明日も雨らしいですね。
寂しさも怒りもやる気のなさもぜんぶぜんぶクソメンタルはすべて雨のせい、気圧のせい。そういう事にしたい。
終わり方が見つからないのも、雨のせい。
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