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「どんな大人になりたいか」

 あなたはどんな大人になりたいですか。あるいはなりたかったですか。
 八重さんはね、多分「なりたかった大人」にはなれてないです。でも「なりたい大人」には日々なっていけてる気がなんとなくしてます。
 子どものころ、「大人はもっとちゃんと大人だ」と思ってました。でもね、大人になっても自分は自分で、これまでってのは今現在と地続きでこれからとも地続きなんですね。
 
 さておき、これまでを振り返ると人生の分かれ道(ターニングポイント)が無数にあって、それって高確率で「何かとの出会い(あるいは別れ)」だった気がする。これまでの自分に影響を与えたのは何だったんだろう。
 数々の本との出会い、震災の経験、もちろん影響は大きい。でも今回は人物のことを振り返ってみる。以前話した「まず好きになる」のサカグチさんや「バイタリティの鬼」エンドウさんなんかは間違いなく影響大です、きっと。
 で、忘れちゃいけない人がいます。その人は「しんぺー先生」といいます。
 
 八重さんの小学校一・二年の時の担任は「しんぺー先生」といいました。
 豪快で朗らかなおじさん、といったイメージです。当時のイメージですので、きっと本当はそこまでの年齢ではなかったのではないかとも思います。かなり変わった人でしたが、素敵な人でした。
 一体何が専門の先生だったのか……、一年生の時、学習発表会の器楽演奏で使う譜面を自作してくれました。クラスの人数や器楽の得意不得意、現在のレベルなどに合わせて「パッヘルベルのカノン」を編曲し、譜面に書き起こしてくれたのです。
 二年生の時は同じ「カノン」をさらにレベルアップ版に再編曲してくれました。僕らと一緒に子どものように遊んでくれる、しょうもないおやじギャグを披露する、うるさい児童を「じゃかあしい!」と叱り飛ばす、いつでも豪快に笑う。
 僕らはしんぺー先生が大好きでした。

 そのしんぺー先生が家庭訪問に来た時の話です。教員としてなかなか言わないような話をしましたが、その実に彼らしい言葉があまりに嬉しく今でも覚えています。こんな言葉です。
 
 「奥さん(八重母)、八重さんは授業を聞いていません。しかし! 怒らないであげてください。おそらく授業内容がすでにわかっていて、退屈なんでしょう。今後、勉強にも歯ごたえが出て夢中になるときがきっと来ます。八重さんが勉強を面白いと思ったとき、全力で応援して支えてあげてください。」
 
 確かに当時の勉強は歯ごたえがなかったのも事実です。だからといって、これを容認し、親を励まし、子を期待し、教員らしからぬ言を述べる。なかなかできることではありません。
 ちなみに八重さんがその後、「勉強って面白いぞ」となったのは実に十年以上後、大学でのことでした。
 
 八重さんはあのときのしんぺー先生のような大人になれてるでしょうか、あるいはなれるでしょうか。おそらくNOだと思います。むしろNOでなくてはいけません。
 では、サカグチさんやエンドウさんのような人にはなれてるでしょうか、あるいはなれるでしょうか。これもNOであるべきです。
 それは彼らに憧れ、彼らのようになりたいと思うだけでは彼らの劣化版、スモールコピーにしかなれないからです。彼らを超えることができないからです。それでは彼らから受け取った何かを次の誰かへと渡すことができない。彼らから受けた恩を次の誰かへと返す「恩送り」がしたいのです、八重さんは。
 だから、「なりたかった大人」にはなれてません。彼らのスモールコピーになるわけにはいきませんから。

 これまで出会ってきた素敵な人たちの素敵なところを取り入れつつ、悩みながらもなんとか自分らしさを捻り出していく。そんなことでしか「なりたい大人」にはなれない、そう信じています。
 八重さんの「なりたい大人」は「より八重さんらしい八重さん」です。あなたも「らしさ」を見つめながら、見失わずに大人になってほしい。切に願います。

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