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「奥深き方言の世界」

 方言というより、津軽弁の話。
 津軽弁に限らず、方言は「交流の要」です。方言抜きで、円滑なコミュニケーションはできません。
 例えば、北海道で言えば「さる・ささる」。これを禁じられたらどうやって話していいのか困惑することでしょう。「いずい」も「わや」も「ちょす」も、「ゴミステーション」でさえも北海道弁なのです。道産子なら話してるっしょ?
 
 しかし、方言が交流の要だとしても、未知の方言話者との会話は難しい。
 初めて津軽に行った時のこと。駅ビルのパスタ屋で、突然背後から怒声。中国人のケンカが始まったのです。こっそり振り向くと、日本人のおばちゃん三人組が笑顔で会話。そう、勢いのある中国語ではなく、津軽弁でした。食後、駅前のバス停で、上品そうなマダムにバスについて聞きました。ところが、何を言っているか一切わからない。とりあえず微笑んでわかったふりをして、こっそり自分で調べなおし。乗ったバスでは今どきの女子高生がたっぷり訛った津軽弁を話している……。
 津軽弁の洗礼を受けた瞬間でした。
 
 そんな方言話者との会話には何が必要だと思いますか。その方言特有の文法、語彙、アクセント、イントネーション。それらを聞き分けて理解する力。そして、「方言を話そうとする気持ち」です。
 八重さんはこの気持ちが足りなかったせいで叱られたことがあります。
 
 あれは八重さんが大学二年生、ハタチのときのことでした。
 弘前地域の大きなお祭り「ねぷた祭り」(弘前のものは「ねぶた」ではなく「ねぷた」だ、という話をし始めると紙幅が尽きてしまうので、別の機会に。)に初めて参加した時のことだったかと思います。
 うちのねぷた団体のベテランにこう言われました。
 「おめ、いつまでお上品に共通語話してらのさ。聞くのはできちゃあ。だばって、もう同じねぷたこ担ぐ仲間なんだはんで、津軽弁話せばいいっきゃ」
 八重さんが津軽弁を話さないことを、彼は他人行儀だと思っていたのです。郷に入っては郷に従え、ローマではローマ人のようにせよ、というわけですね。
 
 そうそう、方言と交流で言えば、こんなこともありました。
 介護実習の打ち合わせで会ったおばあさん。「お茶っこ取ってけねが(くれないか)」という言葉すら八重さんには聞き取れない。聞き返すと「お茶っこ!」と。「こ」を付けてるから判別できず、もう一度聞くと、今度は「お茶、……っこ!」。わかったけど、区切るなら「こ」を付けなくてもいいのでは……!?
 本番までの間に「津軽のスピードラーニング」こと「伊奈かっぺい」のCDを聞き込んで、若干だけリスニングを習得したのでした。

 もっと気合入れて津軽弁を学習している大学生もいます。弘前大学の医学部です。津軽弁の講義があるのです。これは冗談ではありません。方言が分からないと患者さんの訴えを聞き取ることができません。深刻なミスにつながる可能性があります。だから、彼らは真剣に方言を学ぶのです。
 
 シリアスな場面で言えば、選挙で開票の仕事をしてた女友達から聞いた話。
 当時、青森市長選には「鹿内博(しかないひろし)」という人が立候補していました。
 開票作業を進める彼女の前に難問が立ちふさがります。投票用紙に「スカナイヘロス」と書いてある珍事。おそらくは津軽訛りのまま表記してある「鹿内博」のことですが、問題は「これを有効とすべきか、無効とすべきか」。選挙の投票というのは、ひらがなだろうと漢字だろうと、基本的に候補者の名前を間違えずに書く必要があるからです。
 迷った彼女が上司に相談すると即「有効!」との判断。「お年寄りが自分の話す通りに、しかもそれが正しい発音だと信じてそのまんま書いたんだろう。無効にしてはかわいそうだ」とのこと。選挙って、それでいいのかなあ。
 
 不思議で愉快な方言の世界。外国語に限らず、よりよい交流のためには、相手の言語を「理解しよう、話そう」という気持ちが大切なんでしょうね。

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