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2024年夏バルカン半島周遊その3(ティラナ編)

 ポドゴリツァからバスで30分ほど走り、アルバニアの国境に到着。簡単な出入国審査を受け、首都ティラナに向けて再び走り出す。国境を越えてから間もなく、平原の上に農村には全く似つかわしくない、コンクリートの構造物が見えた。トーチカである。

長閑な農村に突如として現れたトーチカ

 地理的に近いことや、第2次大戦後社会主義体制が敷かれていたことなどから旧ユーゴ諸国とひとまとめにされがちなアルバニアだが、実は旧ユーゴ構成国ではなく、独自の社会主義体制を構築していた。1946年、独裁者エンヴェル・ホッジャを首班として成立したアルバニア人民共和国は、成立当初こそソ連と友好関係にあったものの、中ソ対立をきっかけに中国に接近、中国の西側との融和が始まると今度は中国を激しく批判し、遂には「世界唯一のマルクス・レーニン主義国家」を自称して事実上の鎖国を行った。近隣のユーゴスラビアやルーマニアとも対立を深めていたアルバニアは、来るべき戦争に備えて全土にトーチカを50万基余り建設した。筆者が目撃したものもそのひとつだ。ホッジャの死後、非共産主義政権が成立し、アルバニアは「開国」した。その後も有名なネズミ講事件をはじめ経済的な苦境が続いているが、近年は観光業を中心に成長の兆しも見せている。その特異な遍歴から、一部の旅人には「ヨーロッパの秘境」などと呼ばれることもあるアルバニアだが、果たして実態はどんな国なのだろうか。

ロータリーに謎のオブジェがよく置かれている

 途中ドゥラスという町を経由してティラナに向かう。農村を抜け、渋滞を乗り越えてティラナ近郊の高速道路に入ったところでGoogleマップを開く。バスターミナルは町の北西に位置しており、そこから市街地までのアクセスを確認していたところ、なんとバスはターミナルの南を通り抜け、ティラナ南東部に向かっているではないか。ひょっとして乗るバスを間違えたか? いや、そもそも乗る時にチケットをもぎってもらっているからそれはありえない。ではなぜ……? Googleマップでバスターミナルの口コミを開くと、そこには「このターミナルは移転した」、「2024年5月以降、ここは使われていない」という情報が散見された。そう、2024年5月から、ティラナのバスターミナルは町の南東部、TEG(Tirana East Gate。ショッピングモール)の隣に移転していたのだった。バルカン諸国を旅する上で、ネット上の情報は100%信頼できない(現地事情がよく変わるため)とはよくいったものだが、この箴言を改めて認識させられた。アルバニアに関する記載のある地球の歩き方は2019-2020版が最新な上、ネットで容易にアクセスできる日本語サイトも軒並み2024年以前のものであるため、これからアルバニアにバスで行こうとしている方は注意されたい。

新ターミナルはカフェ、売店、ATMなど完備で路線バスやタクシーの往来もそれなりにあるので安心
ターミナル内に複数のバス会社の事務所が展開しており、行き先や出発時間にはある程度選択肢がある。これはコソボ行きバスの一例
ターミナル内部の様子

 予想と異なる場所に到着したり、ATMでキャッシングしようとしてカードを止められたりと、平穏無事な出だしとはいかなかったが、何とか路線バスを見つけ出し、ティラナ中心部へ向かう。車内で係員から切符を購入し、Googleマップに表示されているバス停の場所と、バス停名を連呼する係員の声を対照させつつ、ティラナのピラミッドの前に降り立つ。

複合施設として生まれ変わったティラナのピラミッド

 この施設は、エンヴェル・ホッジャの死後彼を記念するモニュメント兼博物館として1988年に建てられた。その後は展示場、NATOのコソボ人道支援拠点、ラジオ局と姿を変え、近年は荒廃が進んでいたが、2023年に若者向けの複合施設として生まれ変わった。建物の周囲や頂上にはカラフルな構造物や彫刻が配され、内部にはカフェや教育施設などが入っている。敷地にはローマ教皇の胸像が建てられるなど、この建物がかつて無神国家宣言を行い、他国との関係を絶って社会主義建設を推し進めた独裁者の「霊廟」、「記念碑」であったことを思うと隔世の感がある。

ピラミッド頂上からの眺め
内部の様子
天井に残る社会主義っぽさ
教皇フランシスコの胸像

 ピラミッドから北へ進むとティラナの中心部、スカンデルベグ広場が見えてくる。広場の周辺には官庁が立ち並び、その狭間にトーチカを利用した博物館がある。

トーチカを利用した博物館「バンクアート2」
警察組織の歴史を中心とした展示

 冒頭で述べた通り、アルバニアは社会主義体制下、特にエンヴェル・ホッジャ政権下での鎖国、トーチカ建設、無神論国家宣言などに見える独自性や、ホッジャ没後のネズミ講事件などから、奇異の目で見られがちだ。「秘境」として珍重され、多くの旅人が、時にはセンセーショナルな表現でこの国の特異性を発信してきた。しかしながら、少なくとも筆者の目には、その特異性は既に「観光資源」に昇華して久しいばかりか、むしろ西欧あるいはアメリカ文化的な均質化の途上にあるように見えた。これはアルバニアに限らず、世界中の国がそうなりつつあるのだろう。建設されたてピカピカの外資系ホテルビルや吹き抜けを持つ明るく開放的なショッピングモールが立ち並ぶ街並みや、オープンテラスのカフェに陣取る大量の観光客は、今やあらゆる国で見られる共通の光景となった。こういった光景は確かに旅の楽しさを削ぐものだが、その国で生活する人々にとっては経済的に先進国の水準に追いつく、すなわち「均質化」した方がいい面も当然あるわけで、こういったことを考えるたびに、旅とは実に身勝手な趣味であることを認識させられる。一方で、こういった自己矛盾を抱えながら訪れた場所やそこに住む人々に思いを致すことができるのも、旅の要素といえよう。

スカンデルベグ広場
スカンデルベグ像
歴史博物館は改装中だった
アルバニア名物ナスとパプリカの炒め物
この旅を通して最もシャワーの水圧が強い宿だった

 短いティラナ観光で最も印象に残ったのは、「葉の家」の展示内容だった。スカンデルベグ広場から西に行った場所にひっそりと立つこの建物は、アルバニア初の産婦人科医院として建てられ、後に秘密警察シグリミの拠点として利用されることとなった。シグリミは反体制派の摘発・処刑から国民生活の監視まで、我々が「秘密警察」と聞いて想像し得るあらゆる行為を実行し、恐れられた。「葉の家」はシグリミの歴史や組織体制、諜報に使用していた道具、粛清された人々の記録など、その非常に充実した展示内容から2020年にはヨーロッパ最優秀博物館賞を受賞したこともある。個人的には、在アルバニア外国大使館の盗撮映像や、中国の諜報機関から支援を受けていた事実などが特に興味深かった。

「葉の家」外観。内部は撮影禁止だった

 エンヴェル・ホッジャの私邸も現代まで残されている。周囲を飲食店や住宅に囲まれつつ、独裁者の「宮殿」は今もひっそりとたたずんでいる。閉鎖はされているものの、最低限の保守整備は行われているようで、近いうちに公開されるのかもしれない。

エンヴェル・ホッジャの私邸は閉鎖されている
露店では社会主義時代の本も売られていた
近代化されているが、こういう風景はイスラーム圏ならではだ
非常に密度の高いチョフテ

 無神論の時代を経たこともあってか、現在のアルバニア国民は無宗教を自称する者もいる一方、ムスリム、正教徒も一定数存在する。スカンデルベグ広場周辺には正教会とモスクが共存しており、この国の宗教的な多様性の一端を垣間見ることができる。

広場の西に建つ正教会
ジャーミア・エトヘム・ベウトは社会主義時代を生き抜いたモスクだ

 今回、日程の関係上アルバニアには一泊しかできなかった。たった一泊、しかも首都のみの滞在でこの国のことを理解することは到底できないが、それ故により興味が湧いてきた。ここまで社会主義時代のことにしか触れられていないが、アルバニアには古代以来の悠久の歴史がある。ローマ時代の遺跡が残るブトリント、オスマン帝国時代の街並みが美しいジロカストラ、千の窓を持つ町ベラトなど、まだまだ見たい場所がたくさんある国だ。近いうちに、必ずまた訪れてみたい。

夕暮れのスカンデルベグ広場


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