
2023-24年イベリア半島周遊その6(コルドバ)
早くもグラナダを発つ日が来た。とはいえ次なる町・コルドバへ向かう電車までは余裕があるので、いくつかの教会・修道院を巡ってみることにした。
まず訪れたのは王室礼拝堂。グラナダ大聖堂に隣接する礼拝堂で、実は大聖堂よりも古い歴史を持つ。ここにはカトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)の遺骸が安置されており、今でも人々の尊崇を集めているのか、二人の棺の前で十字を切っている人も多く見かけた。

次の場所に行く前にバルで朝食を済ませる。1日中使いやすいのも、バルの魅力の一つだ。

今回は大聖堂のあるエリアから更に西へ足を延ばしてみた。お目当てはサン・フアン・デ・ディオス教会とサン・ヘロニモ修道院である。サン・フアン・デ・ディオス・教会の方は礼拝堂のみならず内部を隅々まで公開しており、なかなか興味深い教会だった。サン・ヘロニモ修道院の方は観光客も少なく、壮麗な内装をじっくり楽しむことができた。




ここから路線バスに乗り、カルトゥハ修道院へ。丘の上に建つこの修道院は、18世紀に完成したと言われており、極めて豪華な装飾で知られている。

外観からは想像できないが、内部は豪華かつ緻密な装飾で満たされており、確かに過剰ともいえるレベルであることは間違いないだろう。写真だとガビガビして見えるほどだ。



カルトゥハ修道院の見学を終えた後は駅に向かい、コルドバ行きのレンフェに乗り込む。アンダルシアの平原を1時間半ほどかけて走り抜け、コルドバに入る。


コルドバは古代ローマ時代、ローマの属州ヒスパニア・バエティカの中心都市として栄えた後、8世紀にはムスリムの支配下に入り、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世の治世において全盛期を迎えた。一時はビザンツ帝国の首都・コンスタンティノープルと並ぶ、地中海世界の大都市として繁栄したようだ。現在でもかつてのムスリム支配期の建造物などが残されており、旧市街の一部の建造物は世界文化遺産に登録されている。


駅から歩くこと20分、雨の降り始めたユダヤ人街を抜けると早速メスキータとご対面だ。

コルドバの宿はホテル・メスキータにとった。その名の通りメスキータの目の前にある宿で、内装が美術館のようで値段の割に豪華な見た目だった。

宿に荷物を置き、これまたメスキータ至近のバル・サントスで名物のオムレツを食べて腹ごしらえをした後は、メスキータの外周を歩きながらローマ橋、そしてカラオーラの塔へ。カラオーラの塔はローマ橋を守るために築かれた監視塔で、内部はコルドバの歴史を学べる博物館になっている。






来た道を戻ってアルカサルへ向かう。アルカサルはイスラーム勢力がこの地を去った後、カスティーリャ王アルフォンソ11世によって14世紀に築かれた宮殿で、グラナダ攻略の拠点やコロンブスがカトリック両王に謁見した地としても知られる。塔にも上れるようだったが、長蛇の列ができていたため今回はパス。


この日の夕食はコルドバ名物ラボ・デ・トロ(牛テールの煮込み)を食べるために、宿から少し歩いてサリーナスというレストランへ行った。開店前に着いたのにも関わらず既に数組が待機しており、入店後まもなくいっぱいになった。かなりの人気店のようだ。もちろん、味は格別で、思わずワインにフラン(プリン)までつけてしまった。


翌日は早朝からメスキータ内部を見学。メスキータは8:30~9:30の間、ミサのために無料公開されており、観光客も入ることができる。この時カテドラル部分はミサで使用中で入れないため、筆者は後からチケットを買って2回目の見学を行った。
メスキータはその名が示す通り、もとはモスクとして建設された。785年に建設が始まって以降、3回の拡張とレコンキスタ後のカテドラルへの改造を経て今に至っている。



鐘楼にも上ることができる(30分おきの予約制)。今回はあいにくの曇天で眺めはあまりよくなかったが、メスキータの増築具合はしっかり確認できた。

この後は郊外のメディナ・アサアラ遺跡へ行こうと思っていたのだが、バスのチケットが売り切れとのことで断念した。折しも雨が降り出しており、野ざらしの遺跡を見るには適当ではない天気になっていたので、結果的に良かったのかもしれない。そう言い聞かせてユダヤ人街を散策してみた。


そうこうしているうちに電車の時間が来た。駅のカフェでサクッと昼を済ませ、レンフェに乗り込む。いよいよこの旅の最終目的地・マドリード入りだ。
