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消えない泡 #あの夏に乾杯

北の夏は短い。

盆だというのに吹き込む夜風は涼しく、虫の声も秋を感じさせる。リビングの窓の網戸には、大きな黒い虫が張り付いて離れない。蛍光灯の光に引き寄せられてか、夕飯のカスがこびりついた皿の山に用があってか。

「おい」

テレビの前の父親に目を向ける。むっくりとした猫背のラインに、グレーのTシャツがぴったり張り付いている。野球観戦後そのままのチャンネルで垂れ流されるCMでは、最近人気の俳優が爽やかな笑顔をこぼし、ビールを飲み干している。

「一杯、どうだ」

夕飯の時から比べると缶ビールが2本ほど増えている。今シャワーを浴びている母親がこれを見たら怒るだろう。共犯者を作りたいのね、と合点し、父の隣に座った。

先ほど麦茶を飲んでいたドット柄のグラスを手に取ると、父が缶を傾ける。7:3の割合で泡が立ち、絵に描いたようなビールが仕上がった。無数の飲み会を経験してきたサラリーマンの為せる技だな、と感心する。

「ん」

促されるままグラスを当てると、思いのほか良い音がした。父は一気にそれを飲み、二杯目を自分で注いだ。大丈夫かこの人、医者に酒量を減らせって言われていなかったかしら……と、口を開きかけたところで、父がそれを遮った。

「まあ、あんまり気にするな」
「は?」

また父が、グラスを口につけてグイと喉を鳴らすので「ちょっと飲みすぎ」と止める。父は目を泳がせてグラスを置き、うめき声のようなものを発してうつむいた。

「母さんのことだよ」

「……ああ」

ようやく、この会合の意味を理解した。父は私を気遣ったのだ。一時間前の食卓で、母に延々と説教や泣き言を浴びせられていた私を。

「別に。予想していた通りだから。三十手前で会社退職、しかも長年付き合って結婚も考えていた彼氏と破局。何も言われないほうがおかしいよ」

今度は私が喉を潤す番だ。ほとんど食べ尽くした枝豆の皿を、父は目で勧めてくる。あまり気乗りしなかったが、ひとつつまんだ。

「まあ……なんだ。おまえのペースで、やればいい……」
「お父さんさぁ、浮気したことあるよね」

父が石像になった。後退した生え際に浮かんだ汗粒が大きくなったように見える。

「いや……違う」

「そうなの?私が中学三年のときかなあ、お母さんがめちゃめちゃ荒れてたから勝手に『浮気か!離婚か!』って誤解しちゃった」

父は何も言わず、ビールを注いでいる。泡が多い。情けない。憐れみの気持ちが滲んでくる。

「ごめん困らせて。涼介と別れた理由が浮気だったからさ。同じ男なら気持ちわかるのかなあって」
「ん……ああ……いや……」

歯切れの悪いモゴモゴした相槌が精一杯のようだ。確かに「わかる」とは応えられまい。今の父に、変化球をいくら投げたところで一球も打ち返せないだろう。

涼介もそうだったなあ。そう、涼介は、こういうところが少し父に似ていた。悲しくて、笑ってしまう。

◆◆◆

決戦の場は居酒屋にした。家だと泣いてしまいそうだったし、うやむやなままセックスして終わりそうだったからだ。

「どうしたん。元気ないね」

涼介はいつものように眠そうな顔でハイボールを飲み、大好きな鶏の唐揚げを頬張っていた。「これ、菜月の地元でザンギって呼ぶんでしょ、何が由来なんだろ」と彼が笑っていたのは、何年前のことだろう。

「これ、見つけた。部屋で」

唐揚げの皿が空になったタイミングで、テーブルに領収証を2枚並べた。ひとつはコンビニのもの、もうひとつは新橋のビジネスホテルのものだ。それだけで、涼介の顔はサッと青ざめた。

この2枚は、涼介の部屋のゴミ箱から漁ったものだ。せめて外のゴミ箱に捨てるくらいの知恵は働かせてほしかった。

「缶チューハイと缶ハイボール、鶏の唐揚げとプリン、コンタクトレンズ用の洗浄液ミニボトルを購入して、ホテルに泊まった、そういうことだよね」

涼介はチューハイが飲めない。甘いものが嫌いで、裸眼の視力が2.0あることが自慢だ。4年で知り尽くしたプロフィールが、こんなところで役立つとは思ってもみなかった。

「後輩なんだ」

最初の一言がそれだった。だから何?

「会社の飲み会のあと、終電を逃してさ……家が遠いから、タクシー代も高いって話になって」

「泊まったんだよね。この女の子と」

次に見せたのはiPadの画面をスマートフォンで撮影した写真だ。ロックを外す前の画面に、メッセンジャーの通知が並んでいる。女性の名前のあとに、「本当に楽しかったよ。一緒に過ごせてうれしかった。また……」と読み取れる。

涼介は大のApple製品好きで、MacBook、iPad、iPhoneを同期させていた。私はガジェットに興味がないが、珍しく朝帰りを選択した彼氏のデバイスがソファに転がっていれば、朝の光を反射するその画面に目を吸い寄せられるのは当然ではないだろうか。

私たちはそれぞれ合鍵を持っていて、自由にお互いの部屋を出入りする。下着も服も歯ブラシも一通りそろえてあるし、休日は必ずどちらかの家に宿泊していた。

ねえ涼介、やるなら、もう少し丁寧にやってくれよ。

涙が頬を伝って、悔しくて、私は泡が消えてしまうまで手をつけなかったビールを、初めて飲んだ。ぬるい苦みが喉を締め付ける。

「そういうんじゃないんだ、本当に……」

涼介はひどく傷ついたような顔をして、かすれた声で訴えてくる。

「ただ……、なんていうか……居心地が良かっただけで……そういうことはしていないんだよ、彼女と」

私のなかで、パリンと何かが割れる音がした。

「ただ彼女のおっぱいが大きくてさ、我慢できずセックスしたんだ」と言ってくれたほうが、よっぽどマシだった。

涼介は嘘がつけない。そこが一番、好き。

だった。

グラスを置いた勢いでビールがびちゃりとテーブルにこぼれ、雨上がりの道に広がる泥のように泡を立てた。

なけなしの現金を叩いて席を立っても、涼介は追ってこない。ただうなだれて動かない後ろ姿を横目に、「ありがとうございましたぁ」という気の抜けた店員の声を追い越して、私は引き戸を横に滑らせた。

むんわりとした熱と湿気が、窒息しそうなほどの圧力で私を抱き締める。雨は止んでいた。黒光りするコンクリートにできた水たまりに、裏通りのネオンが点々と反射している。その光がぼんわりと丸く広がって、視界が歪んでいく。

もうこの居酒屋には二度と来ない。この駅にも二度と降りない。ハイボールも二度と飲まない。東京の8月など消え去ってくれ。今すぐに。

「どうしたの」

マスカラが剥げ落ちた私に声をかけてきた男と、その後どこかで何かをした。

トイレで嘔吐したが、それにも気付かないで、男はヘラヘラ笑いながら「まあ色々頑張って」と言い、翌朝そそくさと帰った。

名前すら、知らない。

◆◆◆

「ちょっと!あなた、また飲んだの」

シャワーを浴びてきた母親の髪の毛が薄いことと、シワが増えたことに思わず目を取られた。

「あんまりジロジロ見ないでよ。菜月も浴びてきなさい」

パリパリのタオルやタンスの匂いがするTシャツをそそくさと渡しながら、母の意識は父のほうを向き続けている。私がここを立てば、父の小さな背中はズタズタに引き裂かれるだろう。

「それ、私も飲んだよ」
「そういう問題じゃないの、お父さん、そんなに飲んじゃだめなんだから」

母は父の健康を心配しているのだろうか。それとも、父のことを叱りたいのだろうか。

私がもしも涼介を赦して、結婚して、髪の毛が薄くなるまで一緒にいたとしたら、ハイボールを延々と飲むその背中に向かって、なんて声をかけるだろう。

父は母の刺々しい言葉を「ん」と受け止めながら、少しずつ透明人間になっていく。母に私を、父に涼介を重ねていた眼前の光景は、やがて母、つまり髪の毛の薄くなった私だけが遺された。

「もう、聞いてるの、買い置きは勝手に飲んでいいんじゃなくて、そっちのほうがお得だから買ってるだけよって何度言ったらわかるの」

空いた缶ビールをキッチンに片付けながら、一人で喚き散らす私。枝豆の残骸がゴロゴロとゴミ袋に吸収されていく。淡々とした動きと、ドクドクと脈打つ言葉。この家で唯一、生きている孤独の塊。

「菜月、お風呂入ってきなさい」

そう言われて、ハッと我に返る。父は相変わらず、ぼんやりとCMを見ながら「んん」と唸っている。

◆◆◆

気がつけば、その夏は終わっていた。

台風が何度か通過し、ビニール傘を2本ほど壊した。乗り換えの途中にある地下道のウィンドウは、鮮やかな常夏の色からモスグリーン、マスタードイエロー、ワインレッドへ衣替えしている。

クリーニング済みのコートをクローゼットの奥から引きずり出したところ、メンズのロングTシャツが一枚、ぺろりとくっついてきた。それを躊躇なくゴミ袋に突っ込めるくらいには、いつの間にか時が経っているようだ。

スマートフォンに『弟』の着信履歴が何度か残っていたが、無視していた。どうせまた「年末年始、姉ちゃんが実家帰っておいて」だの「親父の誕生日プレゼント、俺の分も合わせて渡しておいて」だの。この時期は特に、面倒事を私に押し付けてくる。

四歳下の弟は、私よりも要領がいい。大学も会社も私より少し上のランクを射止めて、両親や親戚への愛想も良く、気がつけば怒られないポジションに居座っている。

その事実を思い出し、軽く舌打ちしてスマートフォンを置いたとき、珍しくLINEで「涼介さんから連絡あったよ、別れたんだって?」と送られてきた。慌てて折返し、電話する。

「まじでさあ、頼むよ。せっかく姉ちゃんのおかげで母さんの結婚シロシロ攻撃を回避できてたのにさあ、なんで別れるんだよ。いい男だったじゃん、涼介さん」

「あんたまさかお母さんに言った!?」

「いや言ってないよ。俺になんの得もないじゃんか。ねえ復縁できないの?ケンカくらいならもう1回やり直そうや、なあ?」

「涼介からなんて連絡来たの」

「ん?姉ちゃん元気かって。シュン、なんか聞いたかって。だから何事かと思って、俺から詳細を聞いたんだよ。そしたら別れたって言うからさあ」

涼介と交際して2年目の冬、「姉ちゃんの彼氏と会いたい」と弟の俊哉が騒ぐものだから、一度だけ一緒に夕飯を食べた。何故か女性関係に事欠かない弟に、我ながら良い男を捕まえたことを自慢してやりたい気持ちも、わずかながらあった。

俊哉はどうやら兄貴分が欲しかったようだ。食事後、率先して涼介と連絡先を交換した。その後は時々、オンラインゲームを一緒にやっただとか、2人で飯を食べただとか、自慢気に報告してきた。

一人っ子だった涼介にとっても弟の存在はプラスだったらしく、家族みたいでうれしいや、なあ、と目尻を下げていたのを覚えている。

しかし、何故私ではなく弟に連絡してくるのか。私は涼介の連絡先を全て消してしまったが、向こうが消したとは考えづらい。消すなら弟もろとも消してほしい。

「あいつが浮気したんだよ」

「えーっ!姉ちゃんどんだけ魅力不足だよ」

「はあ?なんで私のせいなの?!」

「いやあ、だって涼介さん、あんまり浮気グセなさそうっつうかさ。姉ちゃん一筋っぽかったじゃん」

言葉に詰まる。そう、だからこそ私は傷ついたのだ。荒れた肌を擦り寄せ、気兼ねなくぐずついた休日を共に過ごせる人だったから。私を女である苦痛から開放してくれるのは、涼介だけだった。

その距離感が私の唯一性にもつながると思い込んでいたから、涼介が二人目の『居心地のいい女』を求めているなど、信じたくなかった。

「あのな、姉ちゃん。男ってのはさ、色々言葉にできないことがあるのよ。わかる?」

「女だってあるよ。バカじゃないの」

「そういうとこだって!わかりあおうとしないじゃんか、母さんも姉ちゃんもさあ」

母と並べられたことで、血管がドクドクと脈打つ。鈍いストレスが膨れ上がり、喚き散らしたい欲望が胃からせり上がってきた。

「あ、ごめんごめんごめん、違う違う、姉ちゃん、あれだ。あのさ、今年の年末は俺が実家に帰るよ!母さんと親父にこの話はしない、約束する」

こういう巧みな交渉術や空気を読む能力を、この弟はどこで学んできたのだろう。明らかに我が家の血ではない。穴が開いてしぼんでいく風船のように、私は小さくなった。

「ああ、うん。助かるわ」

私が身内でもっとも先に涼介について報告したのは、母だった。ことあるごとに「仕事ばっかりで、いい人に出会えるの」と騒ぐ母の口を封じるために、召喚獣のごとく涼介を利用したのである。

飛行機に乗らなければ帰れない実家であることを理由に、まだあいさつは済ませていない。結婚することになったら、必ず紹介する。旅行がてら、家に遊びに行くよ。そう言い聞かせて母を黙らせていた。

その相手がいなくなったと伝えることは、私にとって極めて深刻な悩みだった。

「よし、任せておけ。その代わり、来年のお盆は姉ちゃんが帰ってくれよ、俺、こっちで行きたいイベントがあるからさ」

「わかった」

タイムリミットは一年か。あの夏の晩のぬるいビール、レシートの感触。居酒屋の煙った空気、暗闇のなかで押し寄せた湿気、濡れたネオン。

一年あれば、母に別のひとを紹介できるだろうか。薄っぺらく伸ばされた交際期間など頼らず、とっとと結婚しなければ。

三十歳になる前に、結婚。そのあとはゆるい副業をしてお小遣いを稼ぎつつ、旦那をサポートして出産に向けた準備を。私が変わるチャンス。変革の年。

弟との電話を切ったあと、12月までしかないカレンダーをにらみながら、そんな映像を妄想していた。来年の夏は、順調な報告を母に。できる。きっと。

◆◆◆

降り注ぐシャワーのお湯を顔面からかぶり、まつげにしたたる水滴を払う。直下に見えるのは、もうすぐ三十を迎えるひとりの女の躰だ。

弾力を失いつつある胸より、ぽこりとふくらんだお腹のほうに目がいく。その下でふんわりと頼りない陰毛と奥の穴は、この一年、何人かの男にまさぐられたものの、からっきし使い物にならなかった。おそらく、先方にとっては十分事足りただろうが。

母の肌は、もう水滴を弾かないんだろうな。自分の腕の上を絶え間なく滑り落ちる雫を眺めながら、ぶよぶよの肉を想像する。

弟がプレゼントしてくれた一年は、なんとも無駄に過ぎた。しかも、年度末に私は会社を退職してしまい、報告すべきバッドニュースがひとつ増えたことになる。

退職理由は『一身上の都合』である。正直、理由という理由もなかった。限りなくブラックに近いグレーな労働環境や、職場の複雑な人間関係に飽き飽きしていたのは随分と昔からである。

理由もなく辞めるという選択肢が私にはなかったから、続けていたに過ぎなかった。帰れば涼介の声を聞ける。そんなくだらない理由だけで、到着する駅もないレールの上を、のこのこと歩き続けていた空っぽな女である。

涼介と別れて時が経てば経つほど、家と会社の行き来で過ぎる日々に対し、何ひとつ魅力を感じられなくなった。

マッチングアプリを利用して会った男と日曜に夕飯を食べ、トイレで吐き、深夜セックスをして、出社する月曜日の朝日。

その太陽のぬくもりが、私を少しずつ腐らせた。

母の教え通りに蓄えた貯金のおかげで、順調な無職生活を数ヶ月過ごし、この盆が来た。まるで現実に帰ってきた死者のような気分だ。

この一年で、いつのまにか母への体裁などどうでもよくなってしまった。だからこそ、わかったことがある。

私は、今でも涼介が好きだった。

安い桃の香りに包まれて、浴室を出た。タオルで髪を巻取りつつ、洗面台のスマートフォンを手に取ると、『弟』からの着信履歴が残っている。LINEには「明日、大通りのビアガーデンで会おうや、19時に西11丁目駅出たところで」とメッセージが残っていた。

あいつ、東京でイベントじゃなかったか?電話を折り返してみたが、通じない。

しばし脳内を整理し、あるひとつの予想は立った。

―もしもそうだったら、どうする?

実家の匂いが染み付いたTシャツと短パンを着て、リビングを通り抜ける。父も母もそこにはもういなかった。テーブルの上も、きれいになっている。キッチンの隅で、空き缶が収められた袋が静かに眠っていた。

2人は、まだ同じ寝室で寝ているのだろうか。どのくらいの距離で?肌は触れ合うのか?

それよりも、2人は「おやすみ」と、言い合うのだろうか?

リビングの電気を消した。

◆◆◆

遠く、テレビ塔の光はやんわりと色を変えながら、その下に広がる屋台の暖かい匂いと、集う人々のにぎやかな笑い声を見守っている。

色とりどりのテントが並び、肌を寄せ合うほどの距離で人々が小さな机を囲んでビールを飲んでいる。毎年恒例のビアガーデンは、ただ外で酒を飲むというそれだけの行事でありながら、こうも人を幸福にさせる。

その風景を遠巻きに見ながら、背筋を伸ばして、私は地下鉄の出入口を背に立っていた。階段を上る足音が近づき、横を誰かが通り過ぎるたびに、心臓が痙攣する。

「菜月」

ああ、やっぱりそうだ。大きく、深呼吸をした。その声を聞いただけで涙が出てきそうで、頭の中で計画していたあらゆるシミュレーションが飛んでいく。

「菜月」

「聞こえてるよ」

真っ向から目を見ることもできず、おもむろに祭りの光へと、肩を並べて歩き始める。その間、何を話したのかはほとんど覚えていない。何も話さなかったかもしれない。

俊哉がやりそうなことは、だいたい想像がつくからサプライズにもならない。それに、もしも私が鈍感な女で、この展開を予想できていなかったとしたら、泣き崩れてまともな話などできなかっただろう。

ガハガハという笑い声や、近況を報告しあう声が混ざり合うなかで、私たちはキンキンに冷えたジョッキを片手に、向かい合った。

「乾杯」

ジョッキが触れ合った瞬間、初めて、目が合った。涼介は泣いていた。頬がカッと熱くなって、視界は一気に歪む。

私たちはこれから、とても長い話をしなければならない。言葉をどうにか伝えて、理解し合って、きちんと目を見なければ。

嗚咽を抑え込んで流し込むビールは、ひんやりと体を駆け巡り、一年間で固まった魂に熱を注ぎ溶かしていく。

母の呪縛について、父と母の関係について、会社を辞めたことについて、一年間新しい男を探した話について。絶え間なく、脈絡のない話を続ける私がいた。

涼介は、私のことを忘れられなかったこと、関係性を断ち切るために会社を辞めたこと、これまで何度も弟に相談していたことを、ぽつりぽつりと言葉にしていった。

「何、じゃあ2人とも無職ってこと?まじかー」

4杯目のビールに口をつけた頃、私はケラケラと笑った。そんなふうに笑ったのが一年ぶりだということに、ふと気がつく。これが酔ったせいではないことなんて、酔った私でもわかることだった。

「良かった、笑ってくれて」

顔をくしゃくしゃにして、涼介は言う。

そう簡単に自分は変われないし、他人を赦せない。

それでも私は、この人と共に歩めるだろうか。その答えはわからないけれど、笑える自分を大切にするくらいなら、すぐに決断できそうだ。

ひんやりと吹き抜ける風は、頬の涙のあとを撫で、遠く、遠く未来の一杯まで続く一筋の線を引いた。

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