モクちゃんは私の精神安定剤
思えば、私は幼い頃から男女どちらでも分け隔てなく好きになっていたと思う。幼稚園の頃を思い出しても、大好きな友人の特別でありたくて必死だったし、小学生の頃好きだった男の子のことは今でも思い出す。
もちろん今のパートナーのモクちゃんが大切で、彼女以上の人がこの世にいるとも思っていないけれど、それでも恋に近しい感情を抱きやすい人間だと自覚はある。
歳の近い兄が居たこともあって、昔はいわゆる男の子らしい遊びも好きだった私は、男の子と遊ぶのも楽しかった。少しガサツなタイプだったかも知れない。家に帰ると大好きなシルバニアファミリーもリカちゃん人形もエアガンもラジコンもあった。
小学生の頃、学年でモテる男の子が3人居た。Aくん、Bくん、Cくんとしよう。ある日Aくんが廊下で私の名前を呼んだ。
「やどりー!こいつお前のこと好きなんだって!」
何かの罰ゲームだったのかも知れない。真相はわからないけれど、AくんはCくんの肩を掴んで笑っていた。Cくんは否定することもなかった。
それが原因で私はいじめられることになった。
幼稚園の頃から仲の良かった友人の一人が、あからさまに私に冷たくなった。陰口を叩かれて、こそこそと目の前で話されることが増えた。他のクラスの女の子からも突然妬まれてひどいいじめに発展した。その子はBくんのことが好きだったらしくて、それも「Bくんはやどりが好きらしい」という根も葉もない噂が原因だった。
心が苦しかった。毎日学校の帰り道は俯いて歩いた。家の二階から10歳離れた兄に「やどりー!そんな俯いて歩いてどうしたの」と声をかけられたことがある。私は笑って返すこともできなかった。
元々の私は天真爛漫でよく笑う子だった。楽天的とも言えるくらい、人を笑わせることが好きな明るい子。
ぶっちゃけ腹立たしかった。でも誰にも言えなかった。女の子に嫌われることが苦しかった。
当時、文通をしていた友人たちは、私の表面ばかりで判断せずに話を聞いてくれた。それが嬉しかった。本当の友達は、同じ土地にはいないのだと思った。
なんとか小学校を卒業しても、中学校ではもっとひどいいじめがあった。
理由は本当にわからない。女の子特有の誰かをターゲットにするただの遊びだったのかも知れない。
入学式で話しかけられて仲良くするようになったのはカースト上位の子だった。その子はしばらくしてから「明日からあの子をいじめるんだ」と、事細かに作戦を教えてくれた。私はそのターゲットの子と仲が良かったから苦しくて仕方なかった。でも「やめなよ」と言えなかった。
次の日学校に行くと、上履きがなかった。ロッカーが荒らされていて、いじめられがちな男の子と机が交換されていた。私の書いた作文がぐしゃぐしゃになって黒板に貼られ、明らかに彼女の字で「誰の?」と書かれていた。
昨日聞かされた作戦と全く同じだった。
いじめはエスカレートした。先生に言っても助けてくれないし、その頃の私は相当擦れていたから頼ることができなかった。見て見ぬフリをされるのが当たり前に感じた。
学校の裏掲示板とかいうものにも私の悪口が連日書かれた。
「一緒に居る友人がかわいそう」と言われた。
担任が友人に「やどりと無理して一緒に居なくていいのよ、あの子癇癪持ちだから」と言っていた話も友人本人から聞いた。癇癪なんか一度も起こしたことないのに。
私は屈さなかった。何をされても登校し続けた。そんな私に腹が立ったんだと思うけれど、いじめっこのうちの一人が私を呼び出した。
本当に目障りだと言われた。目の前に現れんなとか、邪魔とか、色々言われた。
心臓が破裂しそうだった。けど私は負けたくなくて、しっかりとした言葉で言い返した。
「邪魔なら見なきゃいいんじゃない?そっちが意識しなきゃいいじゃん」
その子は私に「生意気」だと言った。
家にダッシュで帰った。部屋に入ってドアを閉めてめちゃくちゃに泣いた。その頃普通にリストカットをしていたから、制服のままとりあえず自分を傷つけた。その日のことはよく覚えている。
中学生の頃はあまり特定の友達がいなかった。
オタクの友達も居て、その子たちと話している時が一番楽しかった。その中にモクちゃんも居た。みんな優しくて、私のことを差別したりいじめたりしなかった。
たくさんつらいことがあって、中二の夏休みに私は引きこもりになった。昼夜逆転して、ご飯もまともに食べなくなって、母親にたくさん心配をかけた。その頃から通院し始めて、夏休みが終わる頃、母は私が学校に行かないだろうと思っていたそうだ。でも私は普通に学校に行った。行きたくなかったけど、行く以外の選択肢を当時は知らなかった。
高校生になって、偶然モクちゃんと同じ高校に入った。クラスは女子だけで、結果的に高校のクラスメイトは直接的に私をいじめるような人はいなかった。
中学から高校にかけて、初めての同性の恋人ができた。ネットで知り合った人だったから、一度しか会わなかった。でも今思えばその人にどんなにつらいと相談してもまともに取り合ってくれなかったことが本当に辛かった。自傷も、若い頃はみんなそんなもん、と言われてすごく苦しかった。
モクちゃんと一緒に学校生活を過ごすうちに、次第に甘えられるようになった。今までにない感情だった。私はずっと「特定の友達」が欲しかった。女の子にはすぐ嫌われてしまうから、それも無理だと思っていた。
でもモクちゃんは違った。どんどん仲良くなって、恋人の話も聞いてくれて、モクちゃんが支えになって、好きになって、モクちゃんは受け入れてくれた。
担任の先生の圧で今までの全てが爆発したみたいに、私は不登校になった。
いろんなことが怖くなって、過呼吸が癖になって、完璧に精神が不安定になった。
私がたまに通学する日は、モクちゃんは学校の玄関で絶対に待っていてくれた。私が、自分の居ない間に“自分の場所”がなくなる恐怖に怯えていたら、モクちゃんは絶対にそこを守っていてくれた。お昼ご飯も私が居ない日は一人で食べて、ずっと私を待っていてくれたのだ。
担任以外の先生にも恵まれた。私を気にかけてくれる先生が数人居た。学校にはなかなか行けなかったけれど、ギリギリ卒業することができた。
クラスメイトも、久しぶりに登校すると優しく迎えてくれる子が多かった。
モクちゃんが居なかったら、高校も卒業できなかっただろうと思う。
放課後にモクちゃんが家に来てくれるのがすごく楽しみだった。帰ってしまうのが寂しかった。
甘えることを教えてくれた。頼っていいと教えてくれた。モクちゃんが私の人生を変えてくれた。
今でもつらいことはたくさんあるし、トラウマがフラッシュバックすることがよくある。
自分で死ぬことを選んでしまった人のニュースを聞くとものすごく胸が締め付けられる。どんなに辛かっただろう、と涙が出る。
死ぬことが何よりも救いに思える気持ちが私にもまだある。最大の逃げ道だと思えるし、死後の世界が地獄でも、現状が変わるなら、ここから逃げられるなら、と思ってしまう。
それでも、先にいってしまった人を思うととてもとても苦しい。
追い込んだ人間が居るのだとしたら本当に許し難い。
ギリギリの淵に立っている人は、指でつついただけで簡単に落ちてしまうのだから、背中を押してしまったら当たり前に落下するのだ。
その淵は回り道もできないくらい細い。
本当はそこからいくつか他の道もあるのだろうけど、その人には靄がかかっていて見えないことが多い。
人を殺すのは簡単だ。
言葉でも人を殺せる。
あの頃の私に、今私が生きていることを伝えたら心底がっかりするだろう。
早く死にたくて、人生設計図であまりに早い終わりを書いて先生に叱られていた私。
ごめんね。
今だってちゃんと死にたいよ。
先に希望もないよ。
それでもそばに居てくれる人が居るから、私はまだ生きてます。
もう少し、生きています。
やどり
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