「他人のため」が自分を癒していく
やどかりやどこです。
他人に流されないで自分を見つめなおして生きていくのが、新しい時代の生き方だ—という考えと逆行しているようなタイトルですが、少しだけあなたの心の隙間のやどをお借りできたらうれしいです。
最近YouTubeでいろんなジャンルの動画を見ることが増えました。
義父母や実両親もスマホやタブレット、PCなどで動画を楽しんでいる毎日。
1年前は一家団欒でイッテQとか、クイズ番組とか、金曜ロードショーとか見ていた時もあったのに、気づいたら現在は、一人ひとり違うコンテンツを楽しんで過ごしています。
これって私の家族だけじゃなく、世界中で広がりつつある日常の一コマ、家族の過ごし方なのかもしれません。
そんな日常で、私もやどかりらしく、殻にとじこもりながら、動画漬けの毎日を過ごしています。中田敦彦さん→マコナリ社長→マナブさん→竹花貴樹さん→イケハヤさんの動画を渡り歩いていまして、つい最近
「他者貢献が自分を癒すんです!」というイケハヤさんの言葉にとても励まされたので、ここに未来の自分に向けて言うつもりで、今思うことを書いていきます。
突然ですが、
みなさん
自分以外の人に貢献したことで自分が癒された経験ありますか?
たとえば、目の前に歩いている人のかばんからハンカチがぽろっと落ちて、落とした人が全然気づいていない場合、自分がそれを見たら次のうちどんな行動をとりますか?
1.知らない人が落としたものだし、見て見ぬふりをする
2.他の人が拾うか様子をうかがう
3.すぐに拾って落とし主に「落としましたよ」と声をかける
みなさんは何番を思い浮かべたでしょうか?
今はコロナの期間中ですし、感染が怖くて、もしかしたら1とか2を選択する人もいらっしゃるかもしれないですね。
私は3でした。実際にこういう場面に何回か出くわして、拾った経験があります。
拾ってあげることで、報酬をもらおうとか、お礼を言ってもらおうとか後先を考えて行動しようとしたわけではありません。
「この人、後で手を洗ったら、ハンカチがないことに気づいて困るだろうな。自分だったら拾ってほしいし、落ちて汚れてしまったけれど、大事な誰かからのプレゼントのハンカチかもしれないしな」
と思ったか思わないか自分でもわかっていませんが、心の深いところにそう思うところがあって、「思い」→「行動」になったんだと自覚しています。
ハンカチを拾って相手に声をかけるのは緊張します。
やどかりは特に殻にとじこもっているので、なおさらコミュ障です。
でも、その緊張を乗り越えて、実際に声をかけてハンカチを渡した後、相手がどんな反応をするかもわかりません。
もしかしたら、知らない人からいきなり声をかけられて不審がるかもしれない。
もしかしたら、落としたことが恥ずかしくてまともに顔も見てくれないままそそくさとハンカチを受け取って足早に去ってしまうかもしれない。(私はこのタイプ。ごめんなさい)
もしかしたら、お礼を言って感謝してくれるかもしれない。
他人のために良かれと思ってすること、って結局のところ、
・自分が癒されたい、
・他人に貢献する自分を好きになりたい
からしているのかもな、と思います。
人によってはそれを「偽善」と呼んだりするかもしれません。
※「偽善」とは・・・本心からでなく、うわべだけ良いことだと見せかけること。という意味です。
そう捉えられることもあるかもしれませんが、
自分自身が、自分を好きでいられる状態を作りたい。
そういう行動をとって、自分への信頼を作り上げていきたい。
ということだと私は思います。
相手のためを思うこと、GIVEの精神が世界と自分を救う近道
先ほど、中田敦彦さん→マコナリ社長→マナブさん→竹花貴樹さん→イケハヤさんの動画を渡り歩いていたと冒頭でお話ししましたが、全員、「みなさんに無料で貢献することが今できる社会貢献なんです!」という内容を語っていらっしゃいます。
こんな濃い内容、本になったり、有料コンテンツ顔負けの内容を無料で発信しちゃう人って本当にすごいなー、太っ腹!!
なんていう、ミーハーな気持ちで見ていた私はまだまだが~が小さく浅いなと感じました。もっと大きな殻で深く潜れるように勉強していくぞ。
やどかりやどこの生き方の中に、みんなのためになるようなものが何かあるのかしら?
今は自分ではわかりません。
このnoteに出会って、文章化することで何かわかるのかも、と思ってます。
なので、これから少しずつ、自分のやってきたこと、興味をもって取り組んでいること、を書いていきたいと思います。
本日もヤドカリやどこの記事を最後まで読んでいただいた、心ある方に大感謝です。
未来の自分はこの瞬間の自分をどう見ているかな。そんなマインドフルネス(今この瞬間に目を向け感じて心を満たしていく)とは反対の見方も大事だったりしますよね。