天職と適職について考える
大好きな男の子に「会おうよ」を既読スルーされ凹みながらも、今週から新入生の授業。
失恋しようが離婚しようが、それを理由に仕事を休んだことはない。
しかし私の授業は私情がめっちゃ駄々洩れなので、新入生にまず言ったのは「年齢聞くな」「結婚しているか聞くな」「子供いるか聞くな」「彼氏いるか聞くな」。
そして五十音を教えながらも、単語もめっちゃ自分チョイス。
あ行か行練習単語「恋」
「はい、恋っていうのはこういう状態でーす、あー危ない危ない危険危険」
もう自分が既読無視されてやさぐれてるからほぼ私情。
(しかしそれにしてもいらすとやさんはいつもいい仕事してますね)
五十音もただ書いて覚えて発音練習だけじゃつまらないので、必ず単語やそれにまつわる話をする。
たとえばか行「きく」
菊は日本の国章、パスポートにも菊。
そして身近な話では、以前女子学生が
「先生、日本人は菊が好きだと聞きました。だからこれどうぞ」
と白い菊の花をくれた件。
葬式かっ!!!!!……みたいな笑
あさイチそんな感じの授業だったけれども好評で学生たちの心を一気に鷲掴み。オンライン授業でこれだけ盛り上がれるなら上々だろう。
そして次の授業。
二年生。脳トレ。
二つの絵を比べて間違い探し。ただし日本語で伝えなければならないので、間違いをみつけるだけじゃなく、説明力や語彙力、会話力が必用。
さっきの新入生は35人だけどこのクラスは10人だからやりやすい。
人数が多いと舞台に立つ感覚、少なければサロンレッスンみたいな感じ。
そしてこの日はさらに午後、バイトの個人レッスン。
相手は社会人。どこで知り合ったか覚えてない。謎に新総理と仲良し写真がSNSにあがってる。「仕事はなんですか?」に対して「役員です」。
まあ、畑仕事がなくなったところでのバイトありがたい。
時給も畑仕事の700円から1500円と倍になったし。
この人の場合は日本に家があり、住んでいる。自国と日本を一年の半分ずつ行ったり来たりの生活。
会話力をつけたいってことなんで会話中心。それから日本人でも意外に知らないことを絡めながら紹介。名刺交換の仕方とか、相手の名前を忘れた時にどうやって主語なしで話すかとか。
誰を教えても変わらないのは、相手にとって興味や関心をもてることをやるってのと、たいていの教科書は内容が古いので、なるべく今に通じる実用的かつ実践的な会話をするための訓練。自然な日本語を使うこと。
でも正直、私にとっては大して難しいことではない。
だからだろうか。やりがいがあるかとかそれが人生の目的かと問われると正直よくわからない。
そんな感じで楽勝授業をしていたら、日本の某国立大学のオンライン授業を受けている学生がその授業の感想を送ってきた。
動画をみたけど、確かにお通夜かってぐらいつまらない。学生の顔が死んでる。笑顔もない。
もしも私の授業がこんなんだったら、私自身もう楽しくないし、もう授業やめて歌おうぜ!状態になると思う。
その学生は時間がかぶっているから私のオンライン授業に参加できないと非常に残念がっている。
そうやって学生に求められること、個人レッスンを求められること、それはありがたいことで、向いているってことなんだろうか。
向いているってのは得意不得意というよりも心が向いているかどうかだと聞いたことがある。得意なことが好きなこととも言えないし、得意じゃなくても好きなら心が向いているわけだから続けられるのかもしれない。
スピリチュアルでおなじみの江原啓之さんも前になんかで「スピリチュアルは適職で歌が天職」みたいなこと言ってた。
それが一致している人もいるかもしれないが、たいていは天職と適職はちがうのではとも思う。
正直私はこの仕事、やりたくて始めたわけじゃない。ぶっちゃけ日本語教師の資格ももっていない。
当時結婚したばかりの夫についていって、たまたま自分も夫の就職先の大学の日本語教師になったってだけ。あれからもうすぐ五年。今や離婚した夫と同じ職場で顔を合わせるのも嫌だし(今はオンライン授業だから関りもないけど戻ったら絶対会う)、今年度(来年八月いっぱいまで)の契約で終了しようと思っている。
じゃ、そのあとは?
どうしようかなーと思いながらの瀬戸内海の島でトトロな古民家暮らし。
ちなみにすごく参考になったnote記事がこちら
以下引用
「得意なこと」だけに全集中しても楽しくなければいずれは破綻しますし「好きなこと」だけに全集中しても結果が出ないと折れる瞬間が来ます。
いやぁ、ほんとその通りだなぁと。
なんだかんだで未経験から五年も続いたのは、もともと私がそれが得意な要素があったから。
・もともと私は子どもが好き、若者が好き、人が好き。
・バンドや演劇や紙芝居やってたから人前で表現するのも慣れてるしわりと得意。
・昔から国語の成績がよく、読書感想文も新聞社賞もらうぐらい得意で、校正やライターの仕事も経験しているから、作文やスピーチの授業で原稿添削とかあっても苦じゃない。
ただ学生時代は、どちらかというと先生や先輩から目を付けられやすい方で、♪夜の校舎窓ガラ~ス壊してまわった~じゃないけど、♪先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか~(古っ)と言いたくなるぐらい教師は基本敵だった。
だから私が「先生」なんて呼ばれる立場になるなんて夢にも思わなかった。でも今となってみれば彼らは反面教師としてありがたい存在。彼らの存在があるからこそ、私は「先生」ってより「仲間」というか「一緒に学んで進歩する喜びをわかちあおう」ってスタンス。吉田松陰がそういう人だったっての最近知った。実はやべー人で弟子に行動止められるぐらいってまんま自分でワロタ。
まあでもじゃあこれを続けるの?どこで?また外国で?それとも日本?
そういうこと考え出すとやっぱわからーんってなる。逆算で計画していくって自分はかなり苦手だ。
そんなとき、また今日たまたま聞いたネイティブアメリカンの言葉。
その人にふさわしいものが常に与えらえる
それは確かにあるかもしれない。そう考えたらこれまで積み上げた経験値も無駄ではないってなるかもで、今、目の前のことに情熱をもって、できることを精一杯心を尽くしてしていることで、ある日ふと与えられるものがあるのかもしれない。
うーん、そんな棚からぼた餅的なこと狙ってちゃいかんのか。
何にしても、大好きな男の子に既読スルーされて凹んでたあの日は三連続授業の忙しさに救われた。
仕事に救われることもある。やることあるってありがたい。しかもそれは楽しい。その楽しさを受け取った相手にさらに楽しかったと言ってもらえる。これはすなわち喜びの循環。
いっしょに作った料理がおいしくて、みんなで食べて、思い出になる。それに近い感覚かも。
たぶん自分が望んでいるのはそういうものなんだろう。
子供の頃、自分で作ったキャラクターで算数とかの問題をわかりやすく解いて授業の時間をエンタメにした。
他の子たちも加わってキャラがどんどん増えていき、クラス全体盛り上がった。
あんな昔のことを今頃になって思い出す。
やってることは実は今も変わってなかったな。
まあ、とにかく来年は転職するだろう。
どこで何をする?わからない。
またこうやってnote書いたり誰かの記事にヒントもらったりしながら日々過ごしつつ、きっと今は予想もつかない展開もアリな気もしてる。
なにせ私は一所不在。
様々なご縁に恵まれて海から海へと渡り歩くヤドカリ生活なのだから。
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