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(淑徳大学菅野さんより)応援メッセージ

クラウドファンディング実施中!2024年7月1日~8月22日まで!


やどかりハウスを市民の手で成り立たせていくためのプロジェクト「助かり合うわたしたちプロジェクト」クラウドファンディング実施中です!
続々と応援メッセージいただいています。
その中で、菅野先生がかつて「助かり合うわたしたち」について書いてくれた文章がとてもいいので再掲載したいと思います。
下記ぜひご覧ください。

長文(かつ珍文)。

リンク先に高らかに掲げられている「助かり合うわたしたち」というビジョンが最高すぎたのでマンサポになりましたよ、というお話。

地域福祉というヤ◯ザな業界の片隅で息をひそめて暮らしている関係で、ごくたまーに「地域の助け合いor支え合い」をテーマにした講座や研修みたいな場におじゃまする機会があるんですが、そういうとこに集まってるのは、舞台の上で喋ってる人たちも会場で聴いている人たちもどちらかといえば「助ける側」の立場として来てる方が多く、「助けられる側」の立場を鮮明に打ち出している人はあまり見当たらない、みたいなことがけっこうあります。

そういうとき私は意地悪く「皆さん自身はなにか地域の人に助けて欲しいことはないんですか?」と質問するように努めています(笑)。すると、ほとんどの方が「んー、まぁ私は今んとこはなんとかなってるから、特に困ってることはないですね」とか、「ウチは息子が近くに住んでるから何かあれば息子がやってくれるんで」とか、「私はなるべく人の世話にはならないようにと思って頑張ってます」みたいな感じでお話しされるので思わず、おーい「助け合い」~、どこにいるんだ~、と叫びたい気持ちになったりします。

献身的に「地域福祉活動」に取り組む皆さんですら(むしろだからこそなのか)「自分が助けるのはいいけど、他人に(特に近所の人に)助けられるのはちょっと気が引けるよね」みたいな人がけっこう多い。自己責任論や家族主義がやたらにハバを利かせる「美しい国」に暮らすわたしたちですから、一般的にもそういう人の方が多いんだろうとは思います。

かくいう私もバリバリにそっち側の人間です。誰かに頼られたり、弱っている誰かに「寄り添」ったりするのはやぶさかでないけれど、自分のしんどい状況をさらけ出して、誰かに助けを求めるなんつーことはできればごめんこうむりたい側。困った時はどうにか身内のなかだけで解決してしまいたい系。困っている人をみたら楠瀬誠志郎ばりに「ほおっとけないよお~♪」と駆け寄るが、自分が困った時は「私は貝になりたい」とフランキー堺並みに抱え込む派。

お国も「支え手/受け手という関係を超えて」てなことをおっしゃってはいるんですが、言うは易し、西川はきよし。局所的な「好事例」はたくさんあるんだと思いますが、地域福祉のドメイン全体で見ればまだまだ「私助ける人、あなた助けられる人」という一方向的・固定的な援助観はいまだに人々の意識にがっちりと根を張っているように感じられます。

詰まるところ、「困った時はおたがいさまだYO!」みたいな言葉は、ついに「助ける側」からしか発せられることがない。それはもう本当に、見事なまでにそう。徹頭徹尾そう。災害時もそう。

で、ですよ。

そんな感じでもやもやしていたところに出会ったのがリンク先にある「助かり合うわたしたち」という言葉。

え、「助け合う」んじゃなくて「助かり合う」?

助かり、、、合う?

バッキューン!ドンガラガッシャ――――ン(古いパラダイムが崩壊するSE)

本当にこれ見た時は、そう!そういうこと!俺が言いたかったのそれ!と、もう首がもげるほどうなづき温泉に肩まで浸かってしまいました。アー、ビバノノ。

つまりこういうことです。

「助ける」は他動詞なので、そこに「合い」をくっつけたところで、そのありようは行為の主体と対象、すなわち「助ける側」と「助けられる側」に否応なく分けられちゃうと。で、日本ではなんとなく「助ける側」が一段上に来る感じになってるので、多くの人が「助ける側」に立ちたがってしまうと。ほんでもって逆に「助けられる側」に置かれるのはしんどいから、あえてそっち側に回りたがる人なんて、あんまりいない。

かくして「地域の助け合い」にまつわる場や機会は多くの場合「助ける側」ドミナントなものになりがちで、「助けられる側」はそんな場や活動には近づかない(それに対して「支援拒否」とか「受援力が低い」とかのラベルがそっと貼られることもある)。

だから「助け合い」の活動はなかなかその裾野が広がりにくいというか、誤解を恐れずいえば地域において「一部の好事家のもの」になっちゃってるみたいなとこ、あるんじゃないでしょうか。

これが地域福祉の文脈における「助け合い」という言葉の持つ致命的な欠陥だったんではなかろうかと、そんな風に思うわけです。

「助かり合う」という言葉がすんげーなと思うのは「助かる」という自動詞に「合い」をつけることで、助け、助けられて生きている私たちの日々の営みや場を、完全にノーサイドなものとして語り直してしまっているところ。

助けるも助けられるもないんだよ、わたしたちみんなが「助かり合う」んだよと。そしてそういう場や機会を地域に拡げていくことが、地域福祉とかまちづくりってことなんじゃないの?と。

そんな感じでしょうか。

いやー参った。ほんとそれだわー、まじそれだわー。

ていうかもうどうにかして今からでもこれ俺が最初に言ったことにしてもらえないですかね、500円払うんで(笑)

とまれかくまれ、この信濃国からやってきた全く新しい概念に心臓を貫かれた私は、「地域の助け合い/支え合い」と言うのはいったん止しにして、これからは「地域の助かり合い」を激推ししていくことを心に決めた次第です。

ほんとにいろいろしんどいけど、みんなで助かり合いましょう。

押忍。

以下シェアしてくれた元島の投稿

【助かり合う私たちプロジェクト進行中!】

困ったら誰でも駆け込んでこれる宿(やどかりハウス)をみんなの手で続けていきたい!

その呼びかけに1ヶ月足らずで、月会員が50名に!

本当に嬉しいです。みんなの力でこの場が維持できていけば、それは私たちの公共です。僕自身も運営者ではなく会員の一人になり、できることをやる中で、自分の身体が変わっているのを日々感じてます。

生きていくことは難しいことがたくさんあるけど、人間の本来の力というのはこういうものだと教えてもらえるような日々です。

何が生まれてくるのかとても楽しみです!

まだまだ一緒にこの場を作ってくれる仲間を募集しています!

月50万あれば、誰でも泊まれるやどかりハウスと、中長期の困りごとを抱えた人達のシェアハウス、そして新しいことを一緒に動かし続けるスタッフを雇うことができます!

ぜひ仲間になってください!

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