本質を理解すること

こんばんは。

半袖短パンでランニングする季節はもう終わりかな…と思い始めてきました。どうも、yaconです。


さて、最近車を運転していたら、こんな場面に遭遇しました。信号のない丁字路での出来事なのですが、概要としては、私が優先道路を走行中、相手が非優先道路で一時停止した後、私の走行している優先道路を横断しようとしている、という場面です。

普通なら相手の車両の運転手は左右をよく確認してから道路を横断すべきですが、どうも左しか見ていない。(私は相手から見て右の方向から道路を走行していました。)

あ~この人左しか見てないな~、と思って、私は注意しつつ減速しながら様子を見ていました。すると、案の定そのまま交差点へ進入。私が注意していなければ接触していた可能性は十分にあります。

このような場面に遭遇したのは初めてではありません。免許を取得してから2年くらい経ちますが、何度かこういう場面はありました。

一般常識として、日本は左側通行の国ですから、左右の安全を確認する場合、を最後に確認するのが当然です。

よく学校で開催される交通安全教室でも、左右を確認するとき「みぎ、ひだり、みぎ」の順番で確認しましょう、と、たくさん言われた気がします。

私なら、左を最後に確認して交差点進入、なんてことは怖くてできませんね。


もう一つ、最近気になったのは、北海道警の警察官が速度違反の取り締まりを不正に行っていた、というものです。新聞の記事などによれば、速度取り締まり用のレーザーを対象車両ではなく、その辺の電柱などに当て、速度測定を行うことで、あたかも対象車両が速度違反をしたかのような証拠を捏造し、不正に取り締まりを行っていたようです。

権力を持った警察がこのようなことをしているなんて、「終わってんな」という感想しか出てきませんが…。

警察は何のために権力を持っているんですか?何の罪もない一般市民から金をむしり取って、警察官個人のノルマを達成するために権力を持っているわけではありませんよね?

速度違反の取り締まりに関して言えば、速度違反をしている人たちに注意喚起をすることで、交通事故の発生やそれによる死亡者を減らす、無くす、ということが目的ではないですか?


上記二つの例をなぜ出したかというと、物事の大小はあれど、

本質を見失っていませんか?

ということが言いたいのです。

一つ目の例でいえば、なぜ左右を確認するのかということを考えさえすれば、右を最後に確認することがいかに重要かが自ずとわかります。いつもテキトーに左右確認をしているからわからないんですかね?

二つ目の例は…言うまでもありませんね。

本質を見失うということは恐ろしいことです。

事の大小にもよりますが、本質を見失うことで、時として自分や大切な人の命、人生の限りある時間を奪ってしまうことになるかもしれないのです。例を挙げるとキリがないので、皆さんも考えてみてください。

本質を見失う主な原因としては、自分を客観視できない、慣れの生じ、など様々あると思います。

これは、他人事ではなく誰にでも起こり得ます。

物事の本質を見失わないためにも、今自分が行動している目的は何なのか、誰のため、何のためにやっているのか、そういうことを考える時間を作ってみることは、とても大切な事じゃないでしょうか。

世の中には、取り返しがつくものと取り返しがつかないものがあります。

きっと、多くのものは取り返しがつくでしょう。

しかし、少ないですが、取り返しがつかないものは存在します。

取り返しがつかなくなる前に、自分や自分を取り巻く環境と向き合う時間を作り、本当の大切は何なのか、物事の本質って何なのか、そういったことを少しでも多く理解できる自分になりたいと常々思います。

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