yaco
日記のような、そんなもの。ノンフィクションとフィクションのあいだで。
小説です。
ねこの写真あれこれ。
みなさまより三つのお題(ことば)を頂いて書いている掌編小説です。
こまごまとしたものを繋げた連作小説のようなものです。
「俺の家の話」を全部見たんすよ。 放送当時、ちょうど親父が倒れて入院していて親の介護とかそういう主題のものは観るのきついかなーと思ってHDDに保存したままだったのを、ようやっと。 まあ、泣きました。 いろんな意味でいろんなこと考えて、各回そぞろにも咽ぶにも、とにかく泣いてた。 今シーズンは「何曜日に生まれたの」に夢中です。 どちらもドラマ観てるなあー!という心地よさと、それと同時に自身の気持ちも重ねて揺さぶられる。そういうドラマって本当いいよねえ。好きだなあ、という他愛もな
雨で膝の裏びしょびしょ!遠めの銀行まで行ったのにキャッシュカードはなぜか使えない!乗換しようとしたら人身事故で電車止まった!また書いたものはだめだった!散々なレイニーマンデー!ブルーだわ!もう笑っちゃうしかないから笑っとこ!おほほほほほ!!!! (画像は何も関係ない)
好きで書いたけど箸に棒にもだったやつ。わかるひとにはたぶんわかってもらえるやつ。 とか言ってるうちは大成しないんでしょうけど、好きに書いてるときはわりかし幸せです。
手を伸ばした先には何もない。でも本当に何もないわけじゃない。君は今日もそこに立っていて音の海のなかに、光の海のなかに立っている。そこできらきらと泳いでいる。 そしてたまに僕に向かって笑いかけてくれたりもする。それはこちらの勝手な思い過しでもいい。きっとそうだ。 伸ばしているこの手は、君に触れようとしているわけじゃない。ただこの瞬間の上手く言葉に出来ない気持ちを、何とかそこにいる君に届けたくて手を伸ばしてしまうんだ。 そこまで書いて便箋を丸めた。 朝、携帯のメ
長生きしても、と言って終活らしきことを考えだしている友はわりと健康的な生活をしていて、長生きしてえなと思ってる自分の方が不摂生な生活してて何なんでしょう、人生。
何とはなしにテレビを付けたら、変わり者の男性ナースのドラマをやっていた。 途中からだけど脳梗塞?で倒れて麻痺が残り嚥下が上手くいかない患者さんが胃瘻の手術を受けるか…と、そんな展開のところだということが見ていてすぐにわかる。 昨日作った肉じゃがの残りと納豆ごはんと味噌汁、きゅうりとセロリの漬物をむしゃむしゃとやりながら画面を見ていて思い出すのはやはり父のことだった。 ドラマでは胃瘻を受けずに食べ続けたい患者さんに男性ナースが嚥下のリハビリを熱心にして、結局手術は受けるこ
松本零士の漫画に出てくる女の人みたいに腰が細くてお尻がほどよく大きくてそのラインがとてもきれいな後ろ姿の女の人を見て感動した、9/13の朝。
webに短い文章載った。 やめようかなーと思うとこういうことあって、また続けようかなーになっちゃうし、そういうの関係なく結局やっぱり書きたくなるし書くことでしか消化できん
時代というだけではなく、そこにあった個人の言葉に出来ない思いを拾い集められてきちんと言葉にすることが出来たら万々歳なのだがな。
前に並んでた青年は身分証提示求められたのに、おらは顔ちらっと見て求められずに酒買えたのでもう立派な大人ですや。
気を失うというのとは全く違うのだけれど、大事なときに意識が自分から離れているような感覚になるときがある。 何か重大な過失や事故に繋がるようなことは今までなかったし、その時にはあまり気が付かない。 過ぎてみると、あれ、さっき意識が体から剥がれていたなあと漠然と思うような感覚だ。 接客業をしているとき、レジカウンターでそういう状態になったりすると人と話したり会計はきちんとやっているのに(意外とミスはない)、おやおや意識が剥がれはじめてるなあというときが時々あった。 大事なことや
anone9話見ても広瀬すず好きになれない人いたら教えてくれ(ボロ泣き)
今日だけで2万字くらい一気に書いたの頭爆発しそうで偉いって自分で思うけど、そもそも余裕がなさ過ぎるのが褒められない
己が不甲斐なさ過ぎて、でもどうにも出来なくて泣きながら台所で立ったままカップ蕎麦食べてるこんな日もいつか笑えたらいい。全部ネタになりゃいい。そう出来なきゃずっと泣いてるわ。
今、生まれて初めて寝ずの番をしている。 全くもって合っているかどうかわからないしちゃんと調べてもいないので、ただ朝まで線香の火が絶えないようにしているというだけだが。 (今ほんのちょっと調べてみたら通夜の夜に、と書かれていてもうすでに違っているが気にしないことにした) 覚悟をしながら日々を過ごしていたとはいえ、急変とは本当にこんなに急なのかと馬鹿みたいに思っている。 嗚呼もう半分くらいここには居ないのかも知れない、と昼に顔を見たときに思った。 最期の時は、本当に寸でで間
昨日、明け方に20年以上前に亡くなった祖母が夢に出てきた。 どこかから退院したような光景で、心配していたら思った以上に元気で、その横には元気な父も付き添っていて目が覚めた時に、あー今日は祖母の命日だからこんな夢を見たのかという気付きと共に、父のこともう連れてっちゃおうとしているの?と急に不安になるなど。 ちょうど実家に行く予定があったので、仏壇に線香をあげ祖母にまだ連れていくのは待っててね、と手を合わせて言う。 とはいえ、もう食べられずどんどん痩せて、言うなればゆっくりと