国葬と大喪の礼(あるいは読売新聞の記事の書き方)
岸田の「安倍国葬」に関する国会審議。私は中継を見ていないので、断定はできないのだが、どうも09月06日の読売新聞の「作文特ダネ」どおりの展開になったようだ。つまり、岸田が「国葬」の「法的根拠」に内閣設置法4条を持ち出してきて、説明した。
読売新聞の記事(該当部分)を再掲載する。
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④内部文書は00年4月、政府の中央省庁等改革推進本部事務局内閣班が作成した「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」。同法4条が所管事務に挙げる「国の儀式」には〈1〉天皇の国事行為として憲法が定める儀式〈2〉閣議決定で「国の儀式」に位置づけられた儀式――の2種類があると説明。〈2〉の例として、「『故吉田茂元総理の国葬儀』が含まれる」としている。
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これに対して、野党は反論できなかったようなのである。なんとも、愚かである。
〈1〉天皇の国事行為として憲法が定める儀式というのは、憲法第七条に書いてある「憲法改正公布」「国会召集」「衆議院解散」など指しているのだが、これは、天皇の名においておこなう「国事」であり、天皇が勝手にできるものではない。実際は、内閣が主導する。いちばんわかりやすいのが「衆議院解散」である。これは、首相が国会で不信任を議決されたとき、首相が「衆議院を解散する」のであって、天皇はその判断に対して何もできない。
一方、国葬はどうか。国葬というと、私は「大喪の礼」くらいしか思いつかないが、これについてはすでに「法律」がある。「皇室典範」である。この法律には憲法で簡単に書いてあることを詳しく書き直してある。その第二十五条は、こうである。
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第二十五条 天皇が崩じたときは、大喪の礼を行う。
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ちゃんと法律があるのだ。
ところが「首相の国葬(あるいは葬儀)」については、どこにも法律がない。だいたい「内閣府設置法コンメンタール(逐条解説)」は「内部文書」にすぎない。そんなものに押し切られるというのは、野党の「質問ミス」である。
で、ここからなのだが。
なぜ、読売新聞は奇妙な特ダネを書いたのか。
あれは、世論がどう反応するか確かめるための「アドバルーン」だったのだ。「内部文書」を根拠に「安倍国葬」を遂行するという考えを明確にしたとき、世論はどう反応するか。「法律がない」という論理をもう一度持ち出すか。たとえば、私はいま「大喪の礼」についてなら皇室典範があるし、天皇の国事行為についてなら憲法があると書いた。だから安倍の国葬に関しても「法律が必要」というのだが、おなじような意見が出てくるかどうか、予め確かめたのだ。どうも、出てこない。野党もそういう批判を展開しそうにない。そういうことを確かめたのだ。
逆に言うと、読売新聞に「特ダネ」をリークしただれかは、ほんとうは「大喪の礼には皇室典範の規定がある。ところが安倍の国葬遂行に関してよりどころとなる法律がない」と対比されたら困ると思っていたのだ。それが不安だったのだ。だから読売新聞をつかって、世論の反応、野党の反応を探ったのだ。そして、そういう反論、批判がないことを確認できたから、岸田にそういわせたのだ。
「作文記事(作文特ダネ)」には、かならず、「意図」がある。「意図」を見抜けば、そこから「攻める」手がかりをつかめる。野党は、特にいまの立憲民主党は、そういうことができない。だらしない。