再び中居なんとか問題

 中居何とか問題、あるいはフジテレビ問題に拡大したというべきか、その問題をめぐって、あまりにもばかばかしい「意見」を目にした。
 放送業務を管轄している総務省(だったと思うが)が指揮権を発揮しろ、問題解決に乗り出せ、というのである。
 一見、もっともらしいが、これは私の直覚では、総務省が乗り出せば、何もなかったことになってしまう問題なのだ。
 なぜというに。
 前回も書いたが、今回の問題はすべて安倍が引き起こした問題と同根なのである。
 フジテレビにかぎらず、多くの放送業務に関係している会社は、総務省からの「天下り」を受け入れているだろう。つまり、なにか問題があったら、総務省に対して根回しする「ツテ」をもっているだろう。「コネ」があるだろう。(人事については、私はとても疎い人間なので、勝手に想像しているだけなのだが。)
 そういう「ツテ」というか「コネ」があるからこそ、平気な顔をして「でたらめ」をやっているのだろう。その「余波」のようなものが中居なんとか問題に違いない。

 そして、この何とも言えない奇妙な「親密関係」は、やっぱり安倍が関与していた「統一協会問題」とも、わたしには重なって見えてしまう。
 政治とマスコミ業界は、どこかで相互に依存している。
 世間には「マスゴミ」という呼称が飛び交っているが、マスコミが「マスゴミ」であるなら、それはマスコミが権力を監視し、批判する期間ではなく、権力の宣伝媒体に成り下がっているからだろう。
 そういうことは、傍で見ている私(たち)よりも、実際に現場で接している中居なんとかのようなタレントが「肌で」直接感じているだろう。何か起きても、権力が手を回して問題を解決してくれる。彼らは、そう確信している。
 だからこそ、最初に取り上げた中居の「謝罪文言」に私は注目したのだ。「示談したから芸能活動をつづけられる」は「禊ぎがすんだから議員活動をつづけられる」という権力者の言い分をそっくりまねしているのだ。
 被害者と示談した、選挙民に選ばれた(指示された)ということと、本人が起こした問題をどう判断するかは、また別の問題である。簡単に言いなおせば、被害者と示談さえすれば(示談するだけの金銭的余裕があれば)、女性を強姦してもいい、ということではないのだ。選挙人が、知事のパワハラを容認したからといって、ほかの市民がその容認を受け入れなければならないということではない。

 何でもそうだが、どんな問題でも、それを他人がどう判断するかではなく、自分自身が同判断するか、である。「他人が解決すれば、それですべて解決」ということではない。すでに中居なんとか問題よりも、フジテレビ問題になったことだが、このフジテレビ問題を、総務省が解決すれば(解決策を示せば)、それで「一件落着」ではない。総務省をはじめとする「権力」に頼る姿勢こそが、この問題を引き起こしていると考えないといけないのだと思う。
 人間がどう生きるか、という問題を「権力」にゆだねてはいけない。ひとのどういう行為を許さないのか、という問題を「権力」に任せてはいけない。

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谷内修三
マスコミ批判、政権批判を中心に書いています。これからも読みたいと思った方はサポートをお願いします。活動費につかわせていただきます。