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『 尋常小学校 』猪鼻宏
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尋常小学校とは、明治維新から第二次世界大戦勃発までの時代に存在した、初等教育機関の名称
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祖父の名前が、猪鼻健造ということを初めて知った。
職業 自動車業(タクシー・バス会社を経営していたからですね。)
猪鼻宏 昭和8年11月20日生まれ
昭和16年 尋常小学校入学(1年生)
昭和17年 国民学校初等科に変わる(2年生)
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中略
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昭和21年 国民学校初等科卒業
昭和22年 国民学校高等科第一学年修業
と、なっている。
さて、その後、13歳の宏はどうしたのでしょうか。
成績に関しては、まあまあ良いほうでしょう。
(少なくとも僕よりは)
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今回、何故この記事を書こうとしたのと言うと
先日 川崎の兄(従兄弟)から電話があり
実家を整理してたら、父(宏)の、尋常小学校のときの成績表が祖母(父の母)の部屋から見つかったとのことだった。
そのときにも、少し話したのだが、国民学校高等科第一学年修了が最後で、以降の記録はない。
おそらくは、川越市内、或いは近くの旧制中学
などに行ったのだろうか。
宏の兄(慶一)
旧制 川越中学(現 川越高校)
宏の姉(京子)妹(葉子)
旧制 川越高等女学校(現 川越女子高校)
どちらも名門校で、現在の偏差値でも
川越高校(偏差値69)川越女子(偏差値66)
当時は、一般家庭から行くには、かなりな
難関だったらしい。
宏だけ、進学先がわからないのだが、
きっと、どこかの学校で暴れん方だったりしたのであろう。と、推察する。(笑)
余談だが、兄 慶一は、川越の神童と言われていたらしい。
太平洋戦争 昭和16年〜20年
終戦は、昭和20年8月15日である
当時11歳の宏は、昭和天皇の玉音放送を
どのような気持ちで聞いたのだろうか。
これもひとつの激動の昭和史である。
いずれにせよ、このような、当時の
学校手帖が残っているというのは
とても貴重であり、息子としても嬉しい限りである。
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小さなサイズの写真なので、
学生時代のものではないかと思う。
学校手帖は、無くさないように
父の仏壇の引き出しに、しまっておきました。
猪鼻康幸