
私の光る君へ〜大河「光る君へ」46話・刀伊入寇・雑感〜見逃した方もどうぞ
1019年 春 大宰府の雑踏
まひろ、念願の長旅。やっと着いた亡夫宣孝、縁の地。周明を見かける。
【竹内まりあの「駅」の気分❓〜アレッまひろ話しかける〜元気!!】
元気だったのね。 俺ノコト恨ンデナイノカ…。
もう20年も年月が過ぎたのよ。 オ前ノ命ヲ奪オウトシタノニ…。
あの頃あなたも苦しくて辛かったのね。 スマナカッタ…。
無事で良かった。 ~タイトル~
岩に腰掛け、「あれから」を話す二人。
故郷対馬には知人もなく、博多で通辞として働くうち、宋から来た眼の名医につき再び薬師になったと語る、周明。
随分年上の宣孝と結婚し娘も生まれたが、たった2年半で夫に先立たれたと語り、周明は?妻は?と尋ねるまひろ。
いないと答え、周明は大宰府政庁にまひろを案内すると申し出る。
(NHK美術の気合の入った)政庁を歩きながら、明るく微笑み合う二人。
マダ宋二行キタイカ? もう歳ですもの…
ソンナ歳二ハ見エナイガ…
隆家の眼を治したと言う、周明の師匠・恵清に中国語で挨拶するまひろ。
【一息に打ち解けた感じが、二人の元々の思いの深さを想像させてくれる、博多のまひろは、伸びやかに明るく、根が暗いようではない】
訓練中の武者達の中に、双寿丸の姿を発見、声かけるまひろ。
賢子が宮仕えに出たと聞き、大人になったのだなと言う双寿丸。
そして、まひろに対面した大宰権帥の藤原隆家は、道長からまひろを丁重にもてなし旅の安全をはかるよう指示を受けた、と告げる。
「俺たちを追いやった源氏の君の物語を書いた女房をもてなせとは、酷なお達しだぁ~」【と、明るくまひろをからかう隆家~心の位がとても広く高くなり、大物感が漂って、素敵💛】
隆家は、新たな渡来物「茶」でまひろをもてなす。大宰府に来て、恵清によって視力も回復し、内裏にいた頃とは全く違う視野を持つようになった、と語る。
「ここには仲間がおる。為堅は武者だが、信頼に足る仲間だ。」
【意識的にか、京の隆家には小物感があり、今回は「帥様」と呼ばれるにふさわしい威厳が備わる…演技力💛】
「隆家様は、この地の力ある者から賂もお受け取りにならず、何事も自らの財を用いられる身ぎれいな方で、それも皆がお慕いし、なついておる由縁でございます。」
「富などいらぬ、仲間がおれば」
隆家から、道長が出家し、身体も弱っていると聞き、まひろは驚き案じる気配。
隆家はまひろが泊まる部屋を用意し、歓迎の宴まで。
大蔵種材、藤原助高、藤原友近(刀伊撃退の功労者)。医師・恵清と周明。
今考えても高貴な身(天皇の従兄、摂政も従弟、亡き皇后の弟)の隆家が、ここでは武者達に加わり、ともに語らい、屈託なく酒を飲み交わしている。
隆家はまひろに、「大宰府に居たいだけ居れば良い、わざわざ都から大宰府まで来たのは、深い理由があるのだろう」と言う。まひろは何も語らない。男だけの鄙びた舞。
【隆家の扇が「金と緑」で目立ち、『枕草子』の中納言参り給ひて(くらげの骨)~を思い出し、16歳で権中納言だった時からの彼の人生を思い、母のような気分で舞を見てしまう。為賢の扇が平氏の「緋」、これも綺麗】
庭で、翳る月を見上げるまひろ。「太閤とは」「光る君の物語とは」と周明は尋ねるが、「物語が人を動かすこともあるのやも」とは言うが、道長が心配なのか、多くを語らない。
都。同じく翳る月を見上げる道長。倫子が近づき、強く止めたが出家はこれで良かったのやも…と言う。「すまなかったな」と道長。
周明に付き添われ、まひろは乙丸と街を見物し、乙丸は照れながら土産の紅を買う。まひろは、予定通り、懐かしいさわの暮らした松浦へと向かいたい、と言う。
周明はまひろに、まず船越の津を目指し、そこから船で松浦に行くのが良いと、船越の津まで送ると言う。
大宰府を出ようとする、まひろ、乙丸、周明は、命辛々歩く僧とすれ違う。壱岐から隆家に、異民族襲来を告げに来た常覚だ。
三月末、壱岐にどこの者とも知れぬ賊が押し寄せ、島民の子供と年寄りは殺され、壮年期の男女は連れ去られ、牛馬も食いつくされた、というのだ。
刀伊入寇(東夷=中国北方民族の襲来)の始まり、国難である。
【国守様は殺されました、と震え泣く常覚に、よくぞ知らせてくれたと、自ら膝をつき肩に手を置く、隆家の姿は、貴人のあるべき姿の原型=noblesse oblige。ここからその死まで自らの生まれた意味を、神に愛でられた者として生き抜いた人として私は信じている💛】
隆家は、大蔵種材の助言で、筑前・筑後・豊前・肥前の国守に使いを送り、軍勢を博多に集める。
4月8日、隆家は、武者の一団を従え、博多で敵を迎え撃つべく、大宰府を出発し、その中に双寿丸もいた。
【「決して無駄死にはするな」大事💛隆家だけ烏帽子で、兜持ち係付】
博多警固所では、平致行が先行し、隆家を出迎え、志摩の文屋忠光が、敵の首を持ってくる。
志摩では、100人が殺され400人が連れ去られ、なんとか敵を追い払ったという。
敵は、博多沖、能古島に近づいているらしい。
警固所の見張りが、敵船50艘が近づいてくると伝えた。
周囲の国からの軍勢は、まだ来ない。
「ここで防がねば、陸の無辜の民に被害が及ぶ。」
隆家は打って出ると決断し、大蔵種材や平致行らが続く。
小舟で浜に乗り付けてくる敵兵。
敵は鏑矢の音に驚き逃げるところへ、双寿丸たちが切りかかっていく。
【敵の中、ジャッキーチェンそっくりの人が画面中央に❓】
都の土御門殿。
「殿の華やかな物語」の冒頭を読む倫子。
書き出しが、だいぶ昔の宇多帝から始まることに疑問を持ち、赤染衛門に問う倫子。
「枕草子が明るく朗らかであった皇后さまの後宮を描き、源氏の物語が人の世の哀れを大胆な物語にして描いたのなら、私がなすべきことは何か、と考えますと、それは歴史の書であると考えました」
かな文字の史書は存在せず、歴史を正確に踏まえながら、道長の生い立ち、政の腕、栄華の極みを描き切れば、後の世まで読み継がれる書になると、赤染衛門は熱く語る。
【エモン先生の気合と情熱、膝の辺りのニャー小麻呂、倫子さんの呆然、息抜き場面。エモンさんの正論☆大事】
敵は劣勢になり、能古島へと逃げた。
そこへ、財部弘延、大神守宮が、兵を率いて到着した。
さらに隆家は戦船を手配し、こちらから打って出て、敵を能古島から追い払おうと決断。
財部弘延は、次は船越の津が狙われると予測。
隆家は、兵を分けて船越へも向かわせ、博多も守らせた。
【道真公の御霊にも祈り。大宰府の文官たちにも刀を持たせて闘わせようとしたらしい、文官たちもやんごとなき隆家様が馬上で指揮を執っている以上、逆らえなかっただろう…】
船越に向かう道中の夜、雨宿りの小屋。
まひろは言わなかった、今の素直な心境を周明に吐露。自分に書くことの意義をくれた道長が偉くなってしまうと、生きがいだった書くことへの情熱も空しくなってしまった。
自身は終わってしまったと言いつつ、それを認められないのだと涙ぐむまひろ。周明は、諦めずに書き続ければ、本当に書きたい題材がいつか見つかる、紙と筆と墨さえあれば、書くことは都でなくてもどこでもできると励まし、まひろの顔に笑みが浮かんだ。
【この嵐の間に、海賊たちは能古島から逃げ、その一部が船越辺りにいたことになる】
4月12日、戦船の手配が完了した。
隆家は、為賢らに能古島を目指すように命じた。
「敵をとことん追い払え。ただし、対馬より先に進んではならぬ。対馬の先は高麗の海だ。そこまで行けば、こちらから異国に戦を仕掛けることになる。」
【上記台詞は、隆家の外交感覚を示すものとして、ソコソコ有名💛】
何も知らないまひろと周明は、船越の津辺りの浜辺で、海賊に追われる村人たちに出くわし、巻き込まれるように逃げる。
武者たちと共に双寿丸が現れ、「逃げろ」とまひろに言い、まひろも周明と乙丸と共に逃げ出す。
直後、周明の胸に矢が突き刺さる。
【松下洪平の見せ場がここ❓】
次回、実資の言葉、倫子の言葉、どうなる周明、乙丸。