yacco

グラフィックデザイナー|Webライター|ライターゼミ1期|ライター組合12期|仙台在住|大学生の娘と高校生の息子|スノーボードもう飛べない|ライブ行きたい|マンガ大好き|オリジナルグッズ→https://suzuri.jp/85design

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グラフィックデザイナーが20年経ってライティングをイチから学んだ結果

南青山と仙台2つのデザイン事務所を経て、現在はフリーランスとして活動しているが、グラフィックデザインに携わってかれこれ20年以上になる。 そんな私が、あることをきっかけにライティングの勉強を始めた。 デザインとライティングは、切っても切れない関係である。 しかし、基本的に分業であることが多く、コピーだけでなく写真・イラストなどの素材が支給され、それをもとにデザインをするのが、私の役割であることが大半だった。 最近では、「コピーも写真もイラストも、デザインもWEB周りもでき

    • キャリアを手放したWEBライター・長原萌子さんが、『ライター組合』で手に入れたものとは?

      フリーランスのWEBライターになって1年という長原萌子さん。 壁にぶつかった時、一人では立ち止まってしまった彼女が、「自分らしく進むきっかけになった」というオンラインコミュニティ『ライター組合』。 どのように出会い、そしてどのように彼女を支えてくれたのか。 その魅力を、長原さんのお話をもとにご紹介します。 【長原萌子さんプロフィール】 公務員からフリーランスのWEBライターへ。そこでぶつかった壁とは?ーーライター歴1年とのことですが、ライターを始めたきっかけを教えてくださ

      • パソコンを買うところからはじめた初心者ライターが、取材ライティングを学んで見つけたものとは?

        日本最大級のクラウドソーシング「クラウドワークス」が運営する「みんなのカレッジ」。その中でも、受講生たちから「オススメ!」という声をよく聞くのが「取材ライティングコース」です。 今回は、受講真っ最中の木村仁美さんに、お話を聞かせていただきました。 画面越しで見るにこやかな彼女は、はじめ高校生の娘とあまり変わらないように見え、年齢をお聞きして驚愕。 「意外といってるんですよ」と笑う彼女の話を聞いていくうちに、芯の通った、かつフットワークの軽い、素敵な女性の姿に魅了され、もっと

        • 二度目の青春!解散〜再結成に震え泣いた、私の2大バンド。

          バンドブーム。1980年代後半から1990年代前半にかけ、それまでアイドル一色だったヒットチャートに、ロックバンドが名を連ねるようになった、社会現象と言える一大ブームである。 当時、一体どれだけの人間がギターを持ち始めたのか。呼応するように音楽を取り巻く環境の変化も大きく、レコード・カセットテープからMDやCDなど、媒体の変化も激しかった。スナックで歌う「大人の娯楽」というイメージだったカラオケが、カラオケボックスの出現で中高生が遊びに行く場所にもなっていった。 10代とい

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          Mr.Childrenを見つけた、30年前の高校生。

          ある音楽番組で、音楽のプロと言われる人たちが、Mr.Children(以下ミスチル)の曲をランキング付けしていた。 懐かしい曲が流れると、10代後半に見た風景が一瞬で浮かんできた。 そして、猛烈にミスチルが聴きたくなった。 音楽って本当にあっという間に、「その時」に連れて行ってくれるから。 画面に映るランキング上位の曲は、半分以上が1990年代に発表されたもの。 私が「ミスチルファン」と言えるのは、デビューした1992年から5年ほどで、振り返ると本当に短い期間だ。 それで

          Mr.Childrenを見つけた、30年前の高校生。

          1990年代に今すぐ戻れる“渋谷系”

          ある歌番組で、ORIGINAL LOVEの「接吻 -kiss-」という曲が、日本で最もカバーされた曲として紹介されていました。 ORIGINAL LOVEは、私も学生時代何度もライブに足を運んだバンド。その思い出とともに、あの頃繰り返し聴いた“渋谷系”をまた聴きたいという衝動がふつふつと! “渋谷系”とは、1990年代に東京・渋谷から発信された、日本のポピュラー音楽のことをいいます。とにかく、音楽もアーティスト本人もおしゃれでかっこいい!というちょっとチープな表現になって

          1990年代に今すぐ戻れる“渋谷系”

          痛い目にあった私が伝えたいこと|産後の人・背が低い人がライブに行く時に贈るアドバイス

          2020年、ライブには行けましたか? 私は、ギリギリ2月に『Sakanaction』のライブに息子と参戦したのが最後です。 本当は『KingGnu』『UNICORN』『カーリング・シトーンズ』のチケットも持っていたのですが、全て払い戻しになりました。 ライブに行けなくなって、明日でちょうど一年。 オンラインライブは、6回視聴しました。 プラチナチケットでも全員取れるし、地方に住む私でも気軽に参加できるし、オンラインライブのメリットも実感した一年でした。 もちろん嬉しく楽し

          痛い目にあった私が伝えたいこと|産後の人・背が低い人がライブに行く時に贈るアドバイス

          過去に参戦したライブ28年分を、リスト化してみた。

          本当は別の記事を書くためにリサーチをしていたのですが、 「一体私は、今まで何回ライブに行ったんだろう」 そう思って、ずっと手元に残してあったチケットを引っ張り出してきて、地味に打ち込んでみました。 #タイピング好き ライブ参戦数とチケット代の総額初ライブは1992年の『UNICORN』。 当時私は16歳。 そして、翌年1993年に解散した『UNICORN』。 今だに解散当時を思い出すと辛くなる…。 めちゃめちゃ行った気がしてたけど、解散前は5回しか行けてなくてびっくり。

          過去に参戦したライブ28年分を、リスト化してみた。

          聴いてた音楽が同じひと。

          大人になって、親になって出会った友達って不思議で。 絶対学生時代に会ってても、仲良くならなかったんじゃないかなって人でも、仲良くなれてしまう。 若ければ若いほど、どこか見た目で判断しているところってあると思う。 私は、美人に弱い(笑) 年齢を重ねると、見た目だけじゃなく、その人の面白さに気付けるようにもなるし、お互い受け入れられるようになってくる気がする。 きっと本質的なところで付き合える友達なんだと思う。 私にも、もう子ども関係なしで、ただ会いたい友だちがいる。

          聴いてた音楽が同じひと。

          小学生の息子がバスケを始める時、まず髪を赤く染めた。

          2021年1月7日『SLAM DUNK』の映画化を、作者の井上雄彦さん自らTwitterで発表、我が家でも小躍りし、歓喜しました! 『SLAM DUNK』と言えば、高校バスケを舞台とした、発行部数1億2000万部を超える大人気漫画。 1991年〜1996年の単行本発売から、2001年には完全版、2018年には新装再編版も発売。 その度に、ますます続編を希望する声が大きくなったように思います。 我が家でも単行本はもちろん、イラスト集や連載終了後を描いたもの、イノウエバッジ店

          小学生の息子がバスケを始める時、まず髪を赤く染めた。

          年明けからはじめる「冬バテ」対策と今年色の春準備【2021】

          新年を迎え、仕事や学校が始まり、それぞれがいつもの生活へ戻っていく日々。
そんな時、こんな症状に覚えはないですか?
 「なんだかだるくて、朝起きるのがツライ…」
 「寒いからかなぁ…肩こりがひどくなった気がする」
 「歳なの?!すぐ風邪ひくし、なかなか治らないし!」 年末年始を終えてほっとした時こそ、ドッと疲れを感じたりするものですよね。
この時期の体調不良やだるさ、いわゆる「冬バテ」。 
その原因はどこにあるのか、また、何に気をつければいいのかなど、「冬バテ」の症

          年明けからはじめる「冬バテ」対策と今年色の春準備【2021】

          noteのテーマ:音楽と私と。(仮)

          「note勉強会」参加してよかったです! 参加したおかげで、書きたいテーマがはっきりしました。 音楽について書きたいと思いながらも、好きなだけで詳しくはないし、音楽ライターとか無理だし、と思ってました。
でも、「NO MUSIC NO LIFE」ー音楽のない人生なんて!ーとは思っているので、好きという気持ちだけでもいいのかと。 そこで、過去に行ったライブや、アーティストにまつわることなど、自分の経験から書いてみようと思いました。
例えば、約30年前に行ったミスチルのライブ

          noteのテーマ:音楽と私と。(仮)

          ライターのタネは、反省文。

          わたしには高校生の娘と、中学生の息子がいますが、彼らは「作文」というものに触れる機会が、わたしが学生の頃に比べて本当に少ない。 なのでやはり「苦手」と言います。 そんな中でも、小学生の時には作文の宿題を積極的に出してくれる先生もいました。 教科の中で国語が基本だと思っていたので、ベネッセの「グリム教室」にも通わせていました。 1ヶ月かけて1冊の本を読み解いていくので、とっても贅沢だったと思います。 比べてわたしの小中学時代は、夏休みの宿題に作文と読書感想文があるのは当た

          ライターのタネは、反省文。

          記事を書いて、バイトを思い出す。

          生まれてはじめて、お仕事として記事を書きました。 緊張しましたー。 まだクライアントさまのチェック中ですが、キーワードを選んで、自分でリサーチして、自分でタイトル書いて、構成考えて、文章書いて。 楽しかった!!!!! 昔からタイピングは好きだったな、と言うことも思い出しました。 大学時代、カード会社の入力のバイトをしていて、そこはスピードを競い、案件数もグラフ化されて、学生たちが「トタタタタッタタッタタタッタタッタ」とすごい勢いで打ち込んでました。 あ、ちゃんとチ

          記事を書いて、バイトを思い出す。

          思い出が変わる

          部活の思い出は、家族よりずっと長く一緒にいた人たちとの、共有できる大切なもの。 もちろんいいことばかりではない。 悲しくなったり、悔しがったり、頭に来たり。 中学を卒業して30年、今ではそれも笑って話せることが嬉しい。 何より、人生であんなに一生懸命がんばったのは、あの中学の部活だったと言えることが、ただ嬉しい。 私が所属していた軟式テニス部は、当時全国大会にも行くような強豪。 土日はもちろんほぼ休みなし。 ナイター設備のない公立中学校では、先生が車のヘッドライトで照らし

          思い出が変わる

          憧れのグラフィックデザイナーとの出会いは、デザインではなかった。

          勝手な片想いのようなお話。 私の憧れのグラフィックデザイナーの1人が、原研哉さん。 でも、彼を知ったのはデザインからではなく、大学の図書館で、なんとなく手にとった本でした。 タイトルは「ポスターを盗んでください」 グラフィックを学ぶ学生としては、興味沸いちゃうじゃないですか。 青い装丁も印象的でした。 大学当時私は、キャンバストップの中古のフォードに乗っていて、私の車に乗った恩師がこの本を見て、「面白いの読んでるな〜」と言っていたのが、また懐かしい思い出。 読むと、グ

          憧れのグラフィックデザイナーとの出会いは、デザインではなかった。