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ダメ男、ファッションリーダーになる

さてさて、ここんところ自分語りから外れたようなエントリばかりが続いたので、さすがにね、ちょっと軌道修正しないとマズいなと。

いや、ぶっちゃけて言いますが、これまでnoteに書いたネタのうち半分くらいは、過去に書いたことをリライトしたものなんです。
アタシが駄文を書き始めたのが2003年。つまり、今年で18年目になるわけで、これだけ長く書いてると<自分語りネタ>も山のようにある。
つーか、もっと言えばネタになるような人生を歩んできたってことか。
んでですね、今回はアタシがファッションリーダーになったって話を書きたいと思うのですが、ま、これもリライトです。
え?そんなことはどうでもいい?それより?

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だよな、ぽんぽこ。たしかにアタシはファッションにうるさいどころか疎いレベルだし、間違っても服装のセンスがいいなんて言えない。
というかさ、ま、これはトシのせいもあるんだろうけど、動きやすさとか軽さとか、今のシーズンで言えばあったかさ、なんてもんに重きを置いてるようじゃあ、とてもじゃないけどオシャレさんとは言えない。
でもな、ぽんぽこ。これは本当の話なんだ。もちろん太古の昔の話だがね。あれはアタシが大学生の頃、だから、かれこれ30年以上前ってことになるのか。

いったい、どういう経緯でそういうことになったのか、これから書いていきます。


◆ 地獄のような時代

1980年代。ま、人によってはというか、この時代に大人だった人、そしてこの時代にはまだ生まれてなかった人には「いい時代だったね」と思われる方も多いと思います。

何しろバブルの頃です。狂乱レベルで景気が良かったんだから、そりゃあ良い思いをした人はいっぱいいるだろうし、後年になってこの時代を知った人からすれば、もっとズバリ言えば景気の悪い時代しか知らない世代にとっては「こんな夢のような時代があったんだ」と思われてもおかしくないわけで。
しかしそれはあくまで世間一般の話。ではアタシはというと、中学1年から大学3年ということになるので、いわばバブル期と青春時代が見事に重なるのです。

これ、一見ものすごく良いような感じかもしれないけど、バブルの恩恵は何も受けてないも同然で、そりゃあ仕事してないんだから恩恵なんか受けられるわけがない。せいぜいちょっとバイト代が良かったくらい。
バブルを語る上での負といえば、数年前に平野ノラがネタにしてたけど、圧倒的なダサさです。たぶん日本の文化史的な歴史上もっともダサい時代だったと思う。
別にディスる気はないんだけど

異様な肩パットが入ったスーツ
ボディコン
セーラーズのトレーナー
長ランや短ランなどのヤンキーファッション全般

もう、思い出しただけでも吐き気がするレベルで、普通ファッションってのは必ずリバイバルするものですが、いつまで経っても80年代ファッションのリバイバルがないのは、つまりはそういうことです。
ところがその頃のアタシは輪をかけてダサかった。流行りのファッションがダサいだけでなく、流行りに疎いアタシなんかそれ以上にダサい、いや酷かったんですよ。

だから当時の写真は人には見せられない。本当なら肉体的に一番輝いていたはずなのに、あまりにも服装が酷すぎるから。


◆ ある種の開放区

そんなアタシが高校を卒業して大学に入ったのが1987年。まさにバブル真っ只中の頃です。
大学っても大阪の田舎の方だったからバブルもバブルファッションも、ある意味関係ない。しかもアタシが入った大学はいろんな意味で時代を超越していたのです。

♪ 下駄ァを鳴らしィて奴がァ来るゥ
 腰ィに手ぬぐゥいブラさァげて~

ま、さすがに腰に手ぬぐいはブラ下げていませんでしたが、たしかにアタシは大学時代の一時期、下駄で学校に通っていました。
と言ってもね、「我が良き友よ」のようにバンカラを気取っていたわけではありません。もっとしょーもない理由です。
アタシの通っていた大学は夏になるとみんな、靴なんか履いてこない。もっとラフに、ビーサンとかツッカケで通ういい加減な人間が多かったんです。
そのうちゾウリで通う人も出てきてね。おそらくは「和モノオシャレ」を意識していたんだろうけど、アタシもゾウリは持っていたんで、試したんですよ。

でも実際にゾウリでウロつき回ったことがある人ならわかるだろうけど、ゾウリってかなり足が疲れるんです。正確には足の裏が痛くなる。クッション性みたいなのがまったくないから。そんなことを言えばビーサンもツッカケもだけど、ゾウリが一番痛いんです。
そうか、ゾウリはダメだな、と思っていた時にふと、そういや下駄も持ってるのを思い出した。
これも履き比べればわかるけど、ゾウリよりも下駄の方が圧倒的にラクなんです。下駄だってクッション性皆無なのに、何故か下駄ならわりと長距離を歩き回ったり出来る。

ああ、これはいいな、とやがてアタシは下駄で登校するようになったと。まったくとんでもない馬鹿野郎です。いや、ダメ男の若き日、か。


◆ ブレイクのきっかけ

アタシが大学に通っていた頃はすでにバンカラ学生などおらず、そもそも校風自体がバンカラと真逆みたいなところなので、下駄で通う馬鹿野郎なんてアタシくらいだった。

そのうち、あの下駄のヒト、みたいにちょっとした話題になり出した。ああ、半分、いや9割は馬鹿にされてるんだろうけど、まァいいやと。実際馬鹿野郎なんだから。
そんなある日のことです。アタシは先輩の部屋に遊びに行った。

「こんなん拾たんやけど、お前、いるんやったらやるわ」

先輩がアタシに差し出したのは、何とランドセルだった。もちろん子供用っつーか小学生用の普通のランドセルです。しかも捨ててあったヤツなんで小汚い。
こんなもんを「いるんやったらやるわ」という先輩も先輩なら「あ、これいいですね!ちょうどカバンの紐が切れて、新しいカバンを買おうと思ってたんですよ!」と嬉々として頂戴するアタシもアタシです。
いくら子供用とは言え、やってみればわかりますが肩紐を限界まで伸ばせば大人でも十分背負えます。しかも軽いし、作りがしっかりしているので中の紙類がグチャグチャになることもない。単にカバンとしてもかなり優秀なのですよ。

ぜんぜん関係ないけど、海外旅行の時はランドセルをカバンとして使うと良い、というようなことを聞いたことがあります。ランドセルは日本にしかなく、しかもああいう開け方をするカバンなど世界的に見てほとんどないらしい。
つまり外国人には開け方がわからないので、スリに遭うことがないんだそうです。
ま、アタシも実際に試したわけではないので、話半分に聞いてくださいね。


◆ ランドセルに下駄の狂人

アタシはランドセルを背負って大学に通いだした。もちろん足元は下駄です。下駄にランドセルの大人。狂人以外の何者でもありません。

しかしアタシの行ってた大学は「奇異であればあるほど素晴らしい」という校風(じゃないけど)があったので、完全に注目の的になってしまった。
ふん、どうせ馬鹿にしてるだけだろ、と思ってね、アタシは気にも留めてなかったんだけど、ある日校内を歩いてると2人組の女の子が恥ずかしそうに近寄ってきて、とんでもないことを言い出した。

「あ、あの、一緒に写真撮ってもらえますか?」

うん、アタシもたいがい狂人の馬鹿野郎だけど、テメエらも同格だ。こんな狂人ファッションの奴と写真撮ってどうする。
これだけならまだいい。挙句に真似する奴まで出始めた。女の子はさすがに下駄は履いてないけど、どこから調達したのか、ランドセル姿の馬鹿が学内に溢れ出したのです。

しかもです。これは絶対的な根拠がないので、本当にアタシが関与しているのか断言出来ないんだけど、アタシがこんな格好をしてから2年ほど経った頃、大阪でミニランドセルが若い子の間で爆発的に流行した。ミニランドセルはデザインはそのままでサイズを半分以下にしたシロモノでして、東京はどうかわからないけど、大阪では本当に、メチャクチャ流行ったんですよ。

あれ、パテント料くれないかな。今更だけど。


◆ 驚愕の後日談

それにしても、こんなくだらない狂ったことをやり始めたのは、恥ずかしながらこのアタシです。いわば創始者であると言っていい。つまり、何のことか、アタシはファッションリーダーになってしまったのです。

言っておきますけど最初にも書いた通り、アタシは高校時代まで恐ろしくダサい格好をしていたのです。そんな人間が半分成り行きとはいえ、狂ったファッションをするうちにとんでもないことになったわけでして。
ミニランドセルの発信源がアタシだったかどうかはさておき、アタシは伝説的な存在になったんですな。いやこの「伝説的」ってのは比喩じゃないんです。

時代は一気に飛びます。1990年代の終わり、アタシが福岡に住んでいた頃の話です。
知り合い程度の女性と喋っていて、何気なく大学時代の話になった。んで、アタシは「たぶん知らないと思うけど」と前置きをした上で、その子に自分の大学名を告げたんです。
すると、その子は突然興奮し出した。何でもその子の友達のお姉さんがアタシと同じ大学に行ってたらしい。

「知ってますよ!何かすごく変な人が多いらしいですね。今から10年くらい前とか、下駄を履いてランドセルを背負って学校に来てた人がいたらしいじゃないですか!」

・・・おい。

それにしても。
10年も経って、しかも大学のある地から遠く離れた福岡にまで、狂人伝説が知れ渡っているとは。ねぇ。


◆ だいたいファッションリーダーって何だ?

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ぽんぽこよ、まったくその通りだわ。今になったらわかるけど、あんなの憧れでもなんでもないよな。ただ、ちょっと、イカれてたヤツ見つけて面白がってただけだよな。
でもさ、そもそも流行なんてそんなもんじゃない?後で冷静になって見ると嘲笑の対象でしかないものを、熱病に冒されたみたいに、熱狂する。つまり人々が冷静になるタイミングがないから流行が生まれる、と。
馬鹿にするつもりは毛頭ないし、むしろ素晴らしいこと、とすら思ってるけど、どこの本屋に行こうが「鬼滅の刃」の単行本が売ってないとか、まさにそれだわな。

でもね、冷静になるなんて10年後20年後でいいんですよ。冷静ぶった輩が熱狂してる人を馬鹿にする風潮の方がよほど良くないと思う。経済ってのはそうやって回っていくんだから。
そんな感じでおしまい。リアクションお願いします。さらばじゃ!