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木の記憶14/なつかしき祖父の工房
母方の祖父母の家に、薪を焚きつける風呂があって、子供の時分遊びにいくと、夕方沸かすのを手伝った。といっても、手伝いをするというよりは、焚火をするのが好きなだけで、湯加減も見ずに薪を燃やしたから、湯を沸騰させて祖父に叱られたりもした。台所から赤土の土間に降りたところにある釜のまわりには、井戸水を貯める大きな甕や竈もあった。昭和四十年代の北九州市の若松には、まだそんな生活が残っていた。この家はエンジニアと大工の仕事をしていた祖父が自ら建てたものであった。母と一緒にお爺さんが家を建てているからと連れられて見に行き、屋根の骨組みにまたがって手をふる祖父の姿をいまもおぼえている。
土間を出たところは、祖父の工房だった。僕の両親はともに働いていて忙しかったから、学校が春や夏の長い休みになると弟妹と一緒にこの家に預けられ、そこで仕事をする祖父の姿を見ていた。台座に材木をのせ、墨壺から糸をぴんとのばして、ぱんっと一発で墨付けをし、さし金をあてて耳にはさんでいた鉛筆でしゃっと線をひく。それからノコでホゾを切ったり、ノミで穴を空けたりする。片目をつぶって、祖父がコンコンとカンナを金槌でたたき、刃を調整して材木にあて、シュルルルルルと丸くねじれた削りかすが落ちると、拾ってくるくる振り回し、バレリーナの真似事などやった。
祖父はときどき仕事の合間にノコや金槌の使い方を教えてくれた。なかでも、僕がもっとも好きだったのは万力で、角材を切るときなど、
「こうやって、木を当てるそ……」
と、故郷の島根なまりで言いながら、万力の歯形がつかないように、両端に緩衝の材をはさみ、さし金をあて、腰をいれて両手でゆっくりとノコをひいてみせた。この万力で空き缶をつぶしたり、弟と指をはさんで我慢比べなどして遊んだりもした。一日の仕事を終えると、祖父は道具を油でみがき、工房の壁に美しく並べていた。
いま、僕が家の机でも、扉付きの下駄箱でも、自分の気に入ったふうにこしらえられるのは、その頃祖父に木工を教わったからである。アトリエの片隅には祖父の工房に倣って、万力を置いている。このごろは、日田へ行って、佐藤さんと戸高さんと杉の選び方や木取りの話などするようになり、それが楽しくて仕方がない。(冊子係/牧野伊三夫)
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