日本茶AWARD2023後発酵茶部門考察
日本茶AWARD2023後発酵茶部門の結果
2023年に新設された第一回後発酵茶部門の審査結果です。
意外にも、すべて静岡県で製造された茶が選ばれました。上位2点は河村傳兵衛氏が関わる茶であったのも特筆すべき点です。
発酵とは?酵素か微生物か
プラチナ賞と他2点の違いは「酵素作用」か「微生物発酵」かです。酵素作用は発酵(微生物発酵)ではありません。
例えば、りんごの断面が時間経過とともに褐色に変わるのは「酵素による酸化」です。一方で、りんごに含まれる糖が酵母によって分解され、アルコールと二酸化炭素が生成されるのが「発酵」です。褐変したりんごとシードルは全く異なる作用によるものです。
茶の製造において酵素作用、酵素的酸化は紅茶や烏龍茶で利用されており、その時間は数時間から長くても1日です。四国の乳酸発酵茶における発酵期間は一般的に2週間、長ければ1ヶ月に及ぶ場合があります。これは微生物の増殖から代謝のプロセス全体を含めた生命活動であり、その過程で有機物が様々な物質に分解、変換され、後発酵茶の奥深い香味の源になっています。
日本茶AWARD審査規定との整合性
日本茶AWARD2023の審査規定では、「後発酵茶は、殺青後の茶葉を自然または人工的に微生物によって発酵させた茶で、カメリア・シネンシスが100%のもの」となっています。
後発酵茶の一般的な定義は殺青後に微生物により発酵させた茶で、日本においては、四国の乳酸発酵茶(碁石茶、石鎚黒茶、阿波晩茶)や富山のバタバタ茶が有名で、それぞれの地域で大切に守り続けてきました。
日本茶AWARDの発起人でもある高宇政光氏もこうした番茶を愛し、産地を訪ね歩きました。著書の中で発酵について以下のように記述しています。
酵素発酵茶とは
酵素発酵茶(La香茶)について調べてみました。製茶された乾燥茶葉を香気生成酵素(β-プリメベロシダーゼ)の働きで香気を高める茶とのことです。しかし、具体的にどのような微生物発酵が行われているのかわかりませんでした。
La香茶と製法特許
La 香寿については以下のページに詳しく記載されています。また製法についても特許から内容が確認できます。
以下に微生物発酵に関連する部分を抜き出します。
酵素発酵茶における微生物発酵とは
La香寿は、破砕した生茶葉の水懸濁液を乾燥茶葉に付与することで、香気生成酵素(β-プリメベロシダーゼ)の作用により、香気成分を促進させるものです。酵素発酵(正確には酵素作用)と言われる所以です。
同時に水懸濁液が水分活性を高めるため、副次的に他の酵素や微生物の活動も進行します。特許文書中に記載されている通り、これらの雑多な酵素作用や微生物による腐敗が進むと「ドブ臭」を有する茶になります。
そのため、特定酵素による香気生成が一定程度行われた段階で加熱し、殺青及び微生物の殺菌を行います。同時に含水率と水分活性を下げて、残存する微生物活動を抑制します。
目的の香気生成酵素作用を最大化しながら、副次的な酵素作用や微生物活動をいかに抑えるかがLa香寿の製造上の重要なポイントになります。
特殊な殺菌処理を施した茶を除いて、大半の茶には微生物が存在します。まして、非加熱の生茶葉破砕懸濁液には多くの菌が含まれているはずです。雑菌は多くの場合腐敗を招きます。そのため雑菌の活動を極力抑制する必要があり、特許文章中には、”微生物発酵処理を行うことなく生茶葉の有する酵素によって発酵処理する発酵工程”と書かれています。
日本茶AWARD審査委員会からの回答
日本茶AWARD事務局に問い合わせましたが、具体的な微生物と香味に影響を及ぼす生成物を教えていただくことは出来ませんでした。
「出品者の製法等に関わる開示は、日本茶AWARDは求めておらず、また、その情報を第三者にお伝えすることはいたしません。」とのことです。
製法の開示ではなく、一般的に乳酸発酵であれば、「乳酸菌で発酵しています」や、もう少し詳しく言っても「乳酸菌が茶葉に含まれる糖を分解し乳酸を生成する」といったごく簡単な情報です。微生物発酵茶にとっては最大のセールスポイントであり、販売する上でも必要不可欠な情報と言っても良いでしょう。
日本茶AWARD事務局からの最終的な回答は以下の通りです。
出品者および製造者にもそれぞれ聞きましたが、微生物発酵の具体的な内容はわかりませんでした。
今回の日本茶AWARD2023後発酵茶部門においては、こうした副次的な雑菌の活動をもって、「殺青後の茶葉を自然または人工的に微生物によって発酵させた茶」とみなし、受賞について問題ないと判断したものと考えます。
所感
微生物発酵茶を製造している者としての感想ですが、そのような副次的な微生物活動は不可避的に起こるもので、細菌検査をすれば何らかの微生物が検出されるはずです。しかし、これらは一般に雑菌と呼ばれるもので、特定の微生物を想定しない場合は発酵ではなく、多くの場合腐敗となります。品質の安定性、安全性の面から微生物発酵茶とは一線を画すものです。
微生物発酵茶には特定の微生物に対応した製法上のアプローチがあります。四国の乳酸発酵茶もバタバタ茶も発酵に関わる微生物は特定されており、当然ながらその特性に合致した製造方法が取られています。碁石茶の二段階発酵、阿波晩茶の木桶に茶葉を詰めて、丹念に空気を抜く作業も、バタバタ茶の製造で繰り返される切り返し作業も、すべて特定の菌の働きを高め、目的の香味を作り上げるために行われています。
今回、審査規定に合致しているかどうかを客観的に判断する情報が示されなかったことは残念です。
後発酵茶における自然発酵と人工発酵
次は微生物発酵の後発酵茶について考察します。
ファインプロダクト賞のくろなでしこは黒麹菌を用いた微生物制御発酵で、審査員奨励賞の菩提酸茶は茶由来の乳酸菌による自然発酵です。
「自然発酵」では、茶葉は自然界に存在する微生物(乳酸菌、酵母、酢酸菌など)と自然に接触し、発酵が進行します。この方式は、環境要因(温度、湿度など)と微生物の多様性に大きく依存します。そのため、その香りや風味には多様性があり、同じ条件で完全に再現することは難しい場合が多いです。
一方で、「人工発酵」または「制御発酵」では、特定の微生物株を選び、厳密に制御された環境条件(温度、湿度、pHなど)で発酵させます。欠点が起こりにくいため品質が安定します。安全性が高まり、大量生産にも適しています。日本酒やワイン、シャンパーニュなどは主に「制御発酵」で作られています。
日本の伝統的な後発酵茶は、「自然発酵」で作られています。古来から受け継がれてきた製法が今も大切に守られています。
菩提酸茶も乳酸菌を添加していない点で「自然発酵」に分類されますが、発酵ステージに合わせた温度調節やpH、酸度による管理を行っているので部分的には制御発酵と言えます。
新しい可能性
ファインプロダクト賞の「黒麹発酵茶 くろなでしこ」は、特定の黒麹菌を用いた制御発酵によって独自の風味と品質を実現しています。選択する原料の産地や品種、製法によっても多様な香味を得ることが可能でしょう。
過去の日本茶AWARD入賞茶には、カネ松製茶の「あるけっ茶」があります。 黒麹菌発酵に加え、生茶葉の酵素を使った酵素作用も行なっています。こちらの場合は微生物発酵と酵素作用を別工程に分けており、反応時間が異なる2つの製造プロセスを適切にコントロールしています。
乳酸発酵茶・菩提酸茶
この画像は菩提酸茶2021秋摘みから分離した乳酸菌です。私達は過去に製造した菩提酸茶からも乳酸菌を分離し、同定試験をした上で保管しています。乳酸発酵茶に適した発酵能力や機能性の面で優れた株を発見し、制御発酵につなげるためです。
今後の展望
今後、日本の後発酵茶は、自然発酵と人工発酵の各長所を活かした多様で高品質な製品が増えることが予想されます。碁石茶や石鎚黒茶は伝統的な発酵茶ですが、麹菌と乳酸菌を複合的に使用して発酵を行っています。La香寿のような酵素作用の活用、また日干茶であれば残存酵素による熟成も有効です。微生物に原料茶のバリエーションをかけ合わせれば多くの組み合わせが生み出せます。後発酵茶、黒茶の発展により従来にない全く新しい味わいの茶が生まれ、茶産業に新たな活力をもたらすでしょう。