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「健全な」劣等感を持とう。他人との比較からは焦りと不安しか生まれない。

春休みに入って時間ができたはずなのに、不安や焦燥感に駆られる時間が増えてきた。インターン先でもコミュニティでも、周りに優秀な人間が多すぎるのかもしれないが、この感情は正直健全ではない。「不安や焦りがあるからこそ人間は前に進める!」と言い聞かせてここまで進んできたが、自分は大きな勘違いをしていたのかもしれない。他人との比較で生まれた不安や焦りは自己効力感が低下するばかりで行動が伴わないことが多いのである。いわゆる「周りはすごいのに自分はこんなだ」「みんなすごいポイントがあるけど自分はないな」という自分の価値を自分で落としてしまう方向に思考が進んでしまう。

これはどうしたものか、と思った時に人生のバイブルに立ち戻ることにした。数年前に一世を風靡した「嫌われる勇気」である。知らない人もいると思うので簡単にこの本を説明しておくと、「アドラー心理学」というギリシア哲学を対話形式でわかりやすく紹介したもの。個人的なこの本の結論は、「悩みも幸せも人間関係からしか生まれない」だと思っていて、結局は勇気を出して理想の人間関係を構築していけ、って話。アドラーのおっちゃんの幸せってこう言うものじゃね?って言うものを噛み砕いてストーリーにしてくれてる超読みやすい(最初の10ページくらいは思想が新しすぎて拒否反応出るかもだけど笑)本なので、読んだことのない人はぜひご一読を。自分は好きすぎてこれまで5冊ほど買って身近な人に配りました笑。

アドラー心理学では、一般に良くない印象を抱かれる「劣等感」という感情を、「健全な劣等感」と不健全な「劣等コンプレックス」があるだけだ、と主張します。前者の「健全な劣等感」は理想の自分と今の自分のギャップから生まれるもので、後者の「劣等コンプレックス」は他人との競争から生まれるもの。たとえばダイエットしたい女性がいたとして、前者は「今は60kgだけど、55kgになりたいから、あと5kg痩せたい!」と前に進む原動力になるのに対して、後者では「〇〇ちゃんは痩せてて可愛いのに、自分はこんなに太ってる...」と前に進めなくなってしまう。〇〇ちゃんみたいに可愛くなりたい!だと良いのですが、〇〇ちゃんよりも可愛くなりたい!と「競争」が入り込むと「劣等コンプレックス」の罠に陥ってしまいます。

大切なのは「誰かに勝つ」ことではなくて、「自分の理想に一歩近づく」こと。他人の軸で競争しながら生きていく方が正直楽で頑張ってる感もある。ただ、それでも僕は自分と深く向き合いたい。就活をしたことある人なら共感してもらえると思うが、自分と向き合うこと以上に苦しいことなんてないい。他人の軸で他人と競争している方が遥かに楽。でも苦しくても「自分の見たくない部分」まで深ぼって、自分の解像度を上げていきたい。その「勇気」を持って人生の方向性を決めて一歩ずつ進む。そうしないと本当の意味で周りを幸せにすることなんてできないしね。

この記事を書きながら、少しずつ自分の気持ちが楽になっていくのを感じたし、やはり自分の大切なもの、軸や価値観に立ち戻る時間を作るのは大切だな。定期的に見直そう。

今日はここまで。最後まで読んで頂きありがとうございました!

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