紙媒体の行方
Column~№36
東京中日スポーツの紙面印刷が2025年1月を持って休止し今後は電子版に移行すると発表した。その前には産経新聞社の夕刊紙である「夕刊フジ」も同時期に休刊し夕刊フジは電子版も休止すると発表している。また産経新聞社と毎日新聞社は富山県内の本紙配送を中止した。新聞社の経営は今や不動業が主と言われる程、新聞購読者の減少に歯止めが掛からず苦慮している。
新聞購読数の減少問題はかなり前から指摘されていたが遂に今年に入ってそれが表面化したというのが正直なところだろう。私の周囲の人も購読してない人も多いが、特にそれを感じるのが新聞回収日だ。新聞回収日は月に1回あるが玄関前に古新聞を出している家は本当に少ない。
私は朝気分転換と体力維持のためにジョギングしているが「こんなに新聞を読んでいる家がないんだ……」と感じる。そして旧家の住宅街は古新聞を回収日に出している家が散見されるのだが、新興住宅街になると出している家が1軒もない。若い世代の人たちはスマホに配信されるニュースを見ているのだろうが、これ程までに世代の違いがあるのも驚かされる。
確かにスマホに配信されるニュースを見ていると翌日の新聞はニュース価値がなく、知っている内容ばかりに感じる。速報性という面では新聞に勝ち目はない。そこで内容の勝負となるが限られた人数と労働環境によって差を出せずにいる。個人的な感想を述べるなら正直新聞を読み続けている者として紙面の満足度は毎年減少している。
ものを読むと言う世界では本も同じで特に小説の分野は厳しい。政府は書店の減少に歯止めを掛けるべく動き出したが、書店を維持しても本を読む人が増えない限り効果は望めない。特に「タイパ」という時間に掛ける効果と満足度を求める言葉が日常で使われる現代で読むのに1日掛かる小説を手にする人が減少するのは当然だろう。
私も小説を書く者として手にする人が少しでも減らないよう作品作りに尽力しているがなかなか才能がないので苦慮している。そんな中でも読者から「面白かった」と言われると励みになる。だが新聞は励みだけでは経営が成り立たない。新聞もそうだが古新聞と言う言葉が死語にならないことを期待している。