空から記録されていた 美々の跨線橋
前回の「美々の不思議な跨線橋」からの続き。その後、分かってきたこととは?
千歳美々ワールドにある2つの跨線橋の過去が、国土地理院の空中写真に写っていました。
▲ 2つの跨線橋(国土地理院1975年10月1日撮影の空中写真から)
この写真が撮影された1975年には、線路を越える跨線橋と道ができていました。とはいっても、道路がつながっているわけではありません。国鉄(当時)石勝線の工事は、この辺りの区間では1966年に着工されました。線路で分断されることになった北と南の畑を、トラクターなどの農業機械が行き来しやすいようにと設けられた跨線橋だったのでしょう。
・1966年1月12日:千歳空港駅-追分駅間 着工
・1981年10月1日:千歳空港駅-追分駅間 開通
1970年に国土地理院が撮影した白黒空中写真にも、2つの跨線橋が同じような状況で写っていました。着工から4年以内には完成していたようです。
1987年4月には、国鉄からJR北海道に民営化されました。その翌年の1988年は、新千歳空港が滑走路1本で開港した年です。
空港の隣接地に工業団地を建設し始めたのが1994年のこと。それが「千歳美々ワールド」です。(その2年後には2本目の滑走路が供用開始された)
▲ 工業団地の工事(国土地理院1996年9月12日撮影の空中写真から)
1996年の写真から線路の両側の造成工事が見て取れます。西側跨線橋の南側は道が削られています。そこは現在の公立千歳科学技術大学の敷地です。一方、東側跨線橋の南側は「千歳美々ワールド」の Fブロックに当たります。東端の防風林に沿った「美々東通」を造るための土盛りもされています。
まとめ
国土地理院の過去の空中写真が示す変化から、次のような状況だったのだろうと想像しています。(確認した空中写真の撮影日:1966年7月23日、1970年5月15日、1973年6月17日、1975年10月1日、1981年10月27日、1985年8月13日、1991年6月20日、1996年9月12日、2001年7月27日、2004年8月26日、2011年10月14日および2018年9月11日)
1.新たに石勝線ができるとき、線路で南北に分断される畑地をつなぐため、2か所に跨線橋が設けられた。(1966年~1970年の間に完成)
2.それから二十数年が過ぎ、ここに工業団地の造成がはじまった。線路の両側の畑地が「千歳美々ワールド」になるため、幅1車線しかない跨線橋2つは使いにくく、不要となった。代わって、工業団地の東側に石勝線を越える2車線の道路「美々東通」が計画され、線路の両側に土盛りが行われた(跨線橋は未設置)。(1994年~1996年)
3.跨線橋2つのコンクリート部分だけが残され、それにつながる土砂と土留めは撤去された。新たな2車線の道路「美々東通」は進展がないまま。(1996年~現在)
これでどうでしょう。 中らずと雖も遠からずじゃないかな?
おまけ
跨線橋を追って過去の空中写真をつらつらと見ていたとき、千歳科学技術大学の敷地に何か文字が描かれていることに気付きました。(現在は、公立千歳科学技術大学)
▲ 千歳科学技術大学(国土地理院2011年10月14日撮影の空中写真から)
その場所を破線で囲いました。180°回転して拡大すると…
▲ 「ガンバロウ日本」(国土地理院2011年10月14日撮影の空中写真から)
「ガンバロウ 日本」の文字と日の丸のようなものが見えます。この空中写真が撮影された7か月前、2011年3月11日には東日本大震災が発生しました。それで描かれたものでしょう。
この場所、11年後の今はどうなっているかというと…
今でも残っていました! 少しくぼみになっていて、朝にうっすら降った雪が「ガン…」の文字の一部を浮きだたせていました。何度も来たことがあるのにボーッと歩いていると気付きません。意識して見ると、すべての文字をハッキリ読み取ることができます。Googleマップの衛星写真でも見えていますよ。
ことし3月下旬のこの場所は、ガッツリ雪が残っているこんな景色でした。
※ 写真(空中写真を除く)はすべて、2022年3~4月、やぶ悟空撮影