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樽前山で起きた航空事故(8)まとめ
写真は、73年前に攻撃目標とされた“神風”飛行場(現千歳飛行場)の樽前山からの遠望(2018年7月11日、やぶ悟空撮影)
原因は?
ここまでお付き合いいただいて読み進めて下さった方には、すでに事故原因はお分かりと思います。少し重複してしまいますが、まとめましょう。
イーグルストン中尉が操縦し、Aircrewmanとして後席にラスムッセンが搭乗したカーチス SB2C-4E 急降下爆撃機(通称、ヘルダイバー)は、1945年(昭和20年) 7月14日午前、室蘭~苫小牧間の列車を攻撃中、対空砲火を避けようと雲に入ったが、操縦士が空間識失調に陥ったため姿勢や方位、位置の把握が困難になった。操縦士は空間識失調から回復したが、自機位置の把握ができないまま、高度2,000~2,500フィート、速度約140ノットで雲中を飛行し、海岸線から6海里以上内陸にある樽前山に近づいた。操縦士が海に向かおうと旋回したとき、地表に接近していることに気付いて急上昇したが間に合わず、左主翼端が山腹に当たって機体がほぼ水平に左へ回転しながら、樽前山の南東、標高約700メートルの山腹斜面に墜落した。時刻は09時30分ごろであった。
このように事故に至ったものと推定しました。私が考える主な原因は「空間識失調」です。どれぐらいの時間その状態だったのか、また、回復後にどれぐらい雲の中を飛行していたのかは明らかにできません。空間識失調から回復した後に数分間も雲中を飛行したとすれば、直接の原因を「空間識失調」にするには無理があるかもしれません。
戦闘中のことなので、雲に入ったことや雲中で自機位置の確認ができないまま飛行したことを指摘しても無意味でしょう。また、事前に地形や標高などを把握しておくことは必要ですが、Aircrewmanのラスムッセンは認識していたものと考えられます。戦闘エリア付近にある樽前山(3,360フィート)や風不死岳(3,619フィート)の標高を考慮し、視界がきかなくなったら高度を上げるという方法もあるでしょうが、それよりも南側の海上へ、または東側の平野へ機首を向ける方が、対地攻撃中であることを考えれば適当かもしれません。空間識失調から回復した後、イーグルストン中尉が「ラス、海はどっちだ?」と聞き、旋回したときには手遅れだったと見るのが自然のような気がします。
イーグルストン中尉は若い操縦士ですが必要な計器飛行訓練は受けていたし、日本攻撃に加わる前は大西洋の対潜哨戒飛行の経験を積んでおり、雲中や暗夜の飛行など、幾度となく計器飛行を経験していたはずです。どんな操縦士でも、空間識失調に陥ることは避けられません。そこから抜け出すには自身の感覚を捨て、計器だけを信じてすばやくリカバリーできるかどうかが鍵となるのでしょう。
サバイバル・ファクター
山腹に衝突するという航空事故に遭遇したにもかかわらずラスムッセンは生存することができ、即死したイーグルストン中尉と明暗が分かれました。生死を分けた要因(Survival Factors)を考えてみます。
1. 墜落現場の樽前山南東斜面は火山灰が深く、墜落の衝撃を緩和するクッションになった
2. 墜落直前に急上昇したことにより対地速度が低下し、そのぶん墜落の衝撃が和らいだ
3. 左主翼端が最初に接地して機体が回転したため、まっすぐ正面から山腹に激突することに比べると、墜落の衝撃が緩和された
4. 山肌を視認してからのわずかな時間に、墜落の衝撃に備えた
1~3までは、操縦士のイーグルストン中尉にとっても同じ条件でした。生死を分けたのは 4 だったのでしょうか? それとも、イーグルストンが機体から投げ出され落下した場所に岩があったという、単なる「運」の悪さなのでしょうか? 後席のラスムッセンは墜落の衝撃に備えることが可能でしたが、操縦士であるイーグルストン中尉にはその余裕はありませんでした。”Brace for impact !“(衝撃に備えよ!)は、経験したくはないですが、現在の旅客機でも生き延びるために、また負傷を軽減させるために、非常に重要です。日本語アナウンスがなくても、この英語は聞き取れるよう覚えておこうと思います。
ラスムッセンは Aircrewmanとして搭乗した飛行機で、この樽前山事故の他に少なくとも2回、墜落事故を経験しています。「Chippewa Chief in World War II」の本には、ヘルダイバーが空母ランドルフへの着艦に失敗して海面に落下した写真(1946年6月)が、また、悪天候の中でロストポジションし、燃料が尽きる寸前に飛行場に進入したものの着陸に失敗した事故(1951年11月)が掲載されています。ラスムッセンはそれらの事故機に搭乗していましたが、その都度、負傷はしても命を落とすことはなく、病気で亡くなるまで彼の人生を全うしました。とても「運」がいい人のようにも思えます。
それぞれの事故の詳細は分かりませんが、直前に衝撃対応姿勢をとること一つをとっても生死を分ける重要な要素になる可能性があり、ラスムッセンは、そのとき置かれた状況下で最善の対応ができる人だったのだろうと考えられます。
航空事故を完全になくすこと、それは目指し続けなければならない目標ではありますが、今の技術をもってしてさえも、あまり現実的ではないように感じるときがあります。しかし、航空事故をなくすことができなくても、その死者をゼロにすることならできそうな気がします。航空に限りません。自動車事故、鉄道事故、船舶事故…どんな事故でも、事故そのものをなくすことは容易ではない道のりですが、事故による死傷者をなくすこと、あるいは被害を軽減させることなら可能だろうと思います。
事故調査結果から得るべきものは二つあると考えられます。一つは、同様の原因による事故を起こさない再発防止のための方策であり、もう一つはサバイバル・ファクター、つまり不幸にして事故が起きてしまったときでもダメージ少なく生き延びるための方策です。後者についての検討にもっと力を注ぐ必要があるかもしれないと、この「樽前山で起きた航空事故」を調べていて考えました。
おわりに
この事故が起きた7月14日は、苫小牧で毎年この日に執り行われている樽前山神社例大祭の宵宮祭でした。73年を経た今年も、このお祭りで苫小牧の街は賑わいを見せていました。自ら事故防止に最善を尽くした上でなら、神様も願いを聞き入れてくれるかもしれません。これ以上、空の事故が起きませんように、不幸にして起きたとしても亡くなる人が皆無でありますように…。
▲ 樽前山神社例大祭・宵宮祭、2018年7月14日、やぶ悟空撮影。
この日も、おそらく事故当時と同じように、ときおり細かな雨粒が霧のように立ち込め、樽前山はその中に身を隠していました。
(8)「まとめ」ここまで。
「樽前山で起きた航空事故」おわり。
樽前山で起きた航空事故(1)はじめに
樽前山で起きた航空事故(2)ヘルダイバー、山に衝突
樽前山で起きた航空事故(3)霧をおして“神風”飛行場へ
樽前山で起きた航空事故(4)飛行の経過、ラスの回想から
樽前山で起きた航空事故(5)事故現場
樽前山で起きた航空事故(6)空襲の痕跡
樽前山で起きた航空事故(7)事故の分析