青春のカルマンギア
まだ学生だった半世紀も前のこと。同期生の一人に「カルマンギア」大好き人間がいました。なに、それ? 当時の私にとっては、まったく聞いたことのない車の名前でした。
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンを優勝に導いた栗山英樹監督。その栗山さんの自宅がある北海道の栗山町には、「Hinode Collection Hall & Café、麗燈露」という看板のかかった、廃校跡を利用した自動車展示・販売場があります。そこを訪れたのは、ことし2023年の7月。
体育館だった古い建物の中に、古い車がたくさん並んでいます。あれもこれも興味深いクルマばかりですが、この日、白いクルマに魅かれて立ち止まりました。
たぶん50年ほど前に製造されたと思われる、フォルクスワーゲンのカルマンギア(Karmann Ghia)です。特徴的なこの丸みを帯びたデザインが、私の古い記憶を呼び起こしました。
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同期のカルマンギア大好き男は、口先だけでなく、しばらくすると本当にカルマンギアを手に入れて得意げでした。ちょっと運転させて、と言い出せる雰囲気じゃありません。オレの溺愛するカノジョに触れるなんて許さない!
仲間たちは、ずいぶん丸みのある美しいボディのクルマだなぁ、と眺めるだけ。中古の安いガイシャって、ダイジョブなのかよ、などという声も。案の定、いろいろ不具合が出てきたようで、彼女の美しい姿を見かける機会はそう多くありませんでした。
「Volkswagen Owner's Manual: Operation and Maintenance」の表紙の画を使わせていただきました。
2ドアクーペです。2シーターかと思ったら、かなり狭いながらリヤシートの写真がネットにありましたから、2+2のようです。
後ろが長いですね。リアエンジン・リアドライブ(RR)車なので、エンジンはこの中に収められています。
フォルクスワーゲンのビートル(タイプ1)をベースにした、水平対向4気筒OHVの強制空冷4ストロークエンジン。見た目のわりに非力だったようで、50 hp/4,000 rpm というスペックがwebで見つかりました。
「ちょびひげ」が付いているような、かわいい顔つきをしています。
私はカルマンギアを良く知らないので、少し調べてみると…、
展示されている車は、ウインカーの形が初期の丸型ではなく横長の四角なので、1969年以降のモデルのようです。そのときのエンジンは、排気量をアップした1.6リッター(1,584 cc)になっているはずです。そして、このバンパーの形状は 1971年に変更されたもの。1973年にタイプ14カルマンギアの生産を終了したというので、この展示車両が最終型なのかもしれません。
はて、「ちょびひげ」の下、バンパー上に取り付けられた2つの丸いものは何だろう? フォグライトではなさそうだし、ホーンでしょうか?
右ハンドルなので、ヤナセで販売されたクルマなのでしょう。ステアリングホイール中央とラジオの上のパネルに「KARMANN Ghia」のロゴが入っています。
ギア社(イタリア)のデザインにより、カルマン社(ドイツ)が製造した流麗なボディを持つクルマ、カルマンギア。シャシーやエンジンはフォルクスワーゲン(ドイツ)のビートルのものを流用しています。
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カルマンギアが世に出たのは、オレたちが生まれて間もないころ。成長して運転免許を取得する年ごろになって、「カルマンギア」大好きを公言していた彼。カルマンギアが生産を終了したのは、ちょうどそのころだったようです。
卒業から数十年、会う機会もなく連絡もまったく取っていないけれど、このカルマンギアを見たときに脳裏に浮かんだのは、あのころの若者たちの顔でした。もちろん、その中には私自身も…。
カルマンギア大好き人間は世界中にいるようで、今でも大事に使われている現役の美しい写真を眺めることができます。
※ 特記のない写真は、2023年7月、やぶ悟空撮影