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臭いのオーケストラ(在宅医療)

 在宅医療というのは、現場で物品が足りないと基本的な診察をするにも処置をするにも困るので往診カバンや薬はもちろんのこと、創部交換のセットやカテーテルの交換セット、時にはエコーなど、さまざまな物品を積み込んで出発する。
 
 出かける前はこれらの物品を狭い往診車の助手席や後部座席に工夫して山ほど積み込むのであるが、この状態でちょっと急ブレーキを踏んだりすると往診車の中は大事故を起こしたような「がしゃどしゃぐしゃ」などといった派手な音が鳴り響き、積み荷が崩れて大変なことになる。

 往診が進んで行くにつれて採取した血液や尿、あるいは使用済み点滴セットや採尿バッグのような廃棄物など、往診車の中は往診先で回収した物品も増えてゆく。

あるお宅で苦労して座骨(座ると当たる骨)の部分に出来た床ずれの処置が終わった時、おや?という臭いに気がついた。

「おかしいな、便は出てないのに」と思ったのもつかの間、目と鼻の先の便の出口(医学的には肛門といいます・・わかってるってか?)から、まさに「にゅーっ」という感じで柔らかめの便が顔を覗かせた。

 あわてて穴にふたをするわけにもいかず、あたふたしているうちにそれは後から後からにゅるにゅると出続けた。

 苦労して交換した創部も便で汚染。最初からやり直しである。
 この時間帯は家の人がいないため、頑張ってオムツ交換をしようとしたら、交換の最中にもにゅるにゅる・・。

 わざとじゃない事ぐらい十二分にわかっている。
 わかっているのであるが、とても悲しい。

 慣れない作業は私の手にも甚大な被害を及ぼすのである。
 処置を終えて手を洗っても、その臭いがとり切れない。
 爪の間に入ってないだろうなあ。

 そして災難は続く。

 次のお宅で差し出された物は手作りのぬか漬け。
「先生、私が漬けたんです。食べてくれますか?」
 
 ぬか漬けは決して嫌いではない。
 嫌いではないんだけど、独特の臭いを放つぬか漬けと一緒に往診するのはちょっと辛い。
 予想通り、ビニール袋に入れたぬか漬けは、そのお宅から100メートルも走らないうちに狭い往診車の隅々に至るまでその香りを充満させた。

 もともと漂っていた便の臭いとぬか漬けの臭いが渾然一体となってなんとも言えないハーモニーを醸し出している。

 さらにこれでもかと悲劇は続く。

 次のお宅で回収した排尿バッグたるや、熟成?された尿が遠慮というものを知らぬかのように、目に来るような臭気を発している。

 便とぬか漬けの臭い、それに熟成された尿臭。
 まさに臭いのオーケストラやあ~・・。

 私は真冬だというのに往診車の窓を開けて走行する羽目になった。 

 診療所に帰ってきた時、私を迎えた看護婦は開口一番、

「先生・・何の臭い? 何があったんですか?」

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